ファイナンス 2024年7月号 No.704
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ファイナンス 2024 Jul. 61令和6年度職員トップセミナー 上げることで、変化に対応した。文明のベースが正反対の発想で作られていることが、井筒さんのイスラーム論を参照することで見えてくる。外国人労働力の移入を通じて、これから日本でもムスリムの人口が増えることが確実な現在、留意すべき点だと思います。(イ)商行為も「宗教的行為」になるコーランもうひとつイスラームと日本で180度異なるのは、宗教と世俗の関係です。我々は「ビジネスと宗教」はそれぞれ別のものだと思っていますが、イスラーム文明では、コーランの教えに則って「公正な取引」を行うことがビジネスなので、両者は不可分一体です。例えばコーランに従うかぎり、利子は禁止ですので、世界中にイスラーム銀行と呼ばれる、コーランの規則とすり合わせた上で投資・運用をする金融機関があるわけです。日本人はまったく逆です。むしろ外国人には「宗教的な儀式」と見えることを、世俗的な行為として行っている。だからよく揶揄されるように、キリスト教の教会で結婚式を挙げて、葬式は仏教のお寺で出しても矛盾を感じません。単に、異なるチェーン店を時には使うよねと思うくらいです。いつからそうかというと近世、江戸時代からですね。「宗門人別改帳」という用語を日本史の授業で覚えたかと思いますが、徳川時代には戸籍の管理を、事実上お寺が行っていました。だから当時、地元のお寺に顔を出すというのは、今日でいえば「市役所に行く」程度の感覚なんです。イスラームの人たちは、「それはあくまでビジネスでしょう?」という行為も、「いいえ、宗教的な実践です」として行う。逆に日本人は「ああ、仏教の信仰ですね?」と見える儀式でも「いや、ビジネスマナーとして、葬儀にはお坊さんが居てくれないとまずいから」としか思っていない。こうした対照ぶりを意識していたことも、井筒さんの叙述から読み取ることができます。一方で面白いのは、井筒さんの『イスラーム文化』を読み進めると、ここまで正反対の日本とイスラームが似て見えてくる瞬間がある。それも、一般には日本が「西洋化」したとされる近代に、意外なほどイスラーム的なあり方に接近している。これは気づかれてこなかったポイントです。1979年にイスラーム革命を起こしたイランは、どちらかというと少数派にあたるシーア派の信仰を持ちます。それは主流派であるスンナ派と、どう異なるのか。井筒さんの解釈によれば、「コーランの読み方」が違うんですね。主流派は書かれた文言を素直に読み、そのままの意味で理解します。しかしシーア派には「タアウィール」と呼ばれる独特の読解法があり、これは先ほどの朱子学とも似ていて、「文言上はこう書いてあるけれど、神様の真の意思を踏まえるなら、文字面の奥に秘められた別の意味を読み出せる」といった読み方をするのだという。呉座勇一さんに聞いたところでは、これは近代日本のナショナリズムの源流になった、本居宣長の「国学」とも近い。宣長は古事記や源氏物語に関して「今までの読み方は正しくなかった」と断じ、従来の通説とはまったく異なる解釈を行うことで、「あるべき日本人像」を描き出しました。(イ)イスラーム以前の王(シャー)の権威また井筒さんが注目するのは、イランにはそもそもイスラームの教えとは別個に、アケメネス朝からの「ペルシア」の伝統もあります。つまり宗教の権威と世俗の王権の、両方が並立している。ここでシャーと呼ばれる王様がイスラームを敬っている限りでは、問題は起きないのですが、「いまの王は本来なら宗教者の代理人のくせに、イスラームをないがしろにしている」と感じられ始めると大変です。結果として宗教者のホメイニが指導者に担がれ、王様は追放されました。これも日本人にとってなじみ深い光景で、幕末の尊王攘夷とまったく同じ構図になります。「天皇と将軍」という二つの権威は、徳川将軍があくまで天皇の代理人として振る舞うなら、共存可能だった。しかし条約勅許問題を通じて、「将軍は外国勢力におもねり、天皇をないがしろにしているぞ」と2.意外に似ている近代日本と「シーア派」(1)イラン革命になにを見るか(ア)シーア派が行う読解「タアウィール」

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