(ウ)現状批判からの原理主義の台頭井筒俊彦『イスラーム文化』1.日本とイスラームは「最も遠い」文明?(1)純粋なる「第二地域」の先駆者これだと合格して役人になったら、自分に教育費を送ってくれた千人規模の一族を、返礼で食べさせないといけない。なので汚職が深刻になる。また科挙の合格者はごく少数で、彼らエリートだけでは地方を統治できないため、実際には地元の顔役として売り込んできた人間をポケットマネーで「胥吏」(しょり)として雇い、実務はその人たちに丸投げします。ところがこの胥吏は正式な公務員ではない分、日常的に賄賂を取ったり、コネのある身内だけを優遇する政治に走る。「官から民へ」でNPOへの委託を増やしたら、かえって不透明な行政になっていないか? といった環境も、やはり中国では昔からでした。遣唐使の阿倍仲麻呂が合格した例が著名ですが、放っておいても科挙を目指して優秀な人材が集まる分、中国には「国のお金で公教育を行う」発想が弱かった。実は作家の司馬遼太郎と陳舜臣が、それは「アメリカに近いあり方だ」と指摘していました(『中国を考える』文春文庫)。結果として、ハーバードはじめ世界一の私立大学に海外からエリートが流れ込んでくるのだから「国内の頭の悪いやつなんて、放っておけばいい」と。しかしそうした奢りの下で、米国では社会の分断が進み、長い目では国力が衰えていった。私もエマニュエル・トッド氏の来日時に、そう議論して中国史の例を紹介したことがあります(拙著『危機のいま古典をよむ』而立書房)。米国ではそうしたあり方への反動として、「偉大なアメリカを取り戻せ」と唱えるトランプ主義が高まっています。実は原理主義的な欲求の台頭についても、宮崎の中国史は指摘していました。例えば朱子学が南宋の時代に成立しますが、これは原点回帰の思想なのです。朱熹は「今までの儒教の読み方は歪んでいた。だから一から見直すので、これからは私が解釈した儒教を信じよ」と唱えた。いわば儒教原理主義と呼べます。宋代に封建制を放棄し、流動化に舵を切った社会の果ては、今日にも通じる危ない世界だった。そう宮崎は示唆していたとも読めるわけです。三冊目は井筒俊彦の『イスラーム文化』です。井筒さんの同書が出たのは1981年。79年に起きたイラン革命を受けて、イスラームの本質を日本の財界人に講義した内容が基になっています。当時はイスラームというと、中東起源でベドウィンなど「遊牧民の宗教」という理解が強かったため、井筒さんは「それは違う」と指摘することから始めます。むしろ遊牧民に強い「部族意識」を、宗教の力で克服したことにイスラームの意義がある、というのが井筒説のコアになります。(2)日本と180度逆の「聖俗一致」(ア)閉じた「家族」の限界をどう超えるか?遊牧民に限らず、原初的な社会では一般に、自分の血縁者、つまりファミリーどうしは信頼し合い、そうでない別のファミリーとは対立する。そうしたマフィアのような部族抗争が常態です。これに対し、イスラームは「コーランを信じる者はみんな仲間だ。血縁や部族意識にこだわるのは止めよう」と訴えた。ここにイスラームの画期性があったと、井筒さんは述べています。そうした目で見ると、日本とイスラームは世界でも稀な「180度逆の文明」かもしれません。日本ではイスラームと異なり、家的な小集団への帰属意識がずっと長く残った。しかし日本の家のユニークなところは、狭く閉ざされた集団ではあっても「可変性が高い」点です。例えば、日本人が養子を迎えて家を継がせる場合、相手は誰でも自由に選べます。これはかなり特殊なあり方で、中国や朝鮮の場合は、「父系血縁がつながっている親戚」しか養子にとることはできませんでした。西欧でも前近代では、日本ほど自由に養子を選べなかったとされます。つまりイスラームの場合は、同じ宗教(思想)を共有することに基づく巨大な共同体意識で、従来の部族意識を丸ごと「上書き」した。日本は逆に家という小集団を残しつつ、そのメンバーの入れ替えの自由度を 60 ファイナンス 2024 Jul.
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