ファイナンス 2024年7月号 No.704
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ファイナンス 2024 Jul. 59令和6年度職員トップセミナー 2.宋における大変革:文明は「近世」で決まる(1)税の直間比率の究極的是正明』である」ということです。例えば始皇帝の秦が、なぜ最初の統一を達成するほど発展したのか。秦は戦国の七雄の中では一番西の、ほとんど中央アジアの入り口にある地域から始まった国ですから、遊牧民の騎馬戦術を取り入れるのが非常にうまい。これが軍事的な卓越性をもたらしたと、宮崎さんは述べています。もう一つ秦の優位性として宮崎さんが指摘するのは、「亡命者の思想を純粋に採用することができた」という点です。具体的には法家、韓非子や李斯に代表される思想で、これが強権的な統治と行政のしくみを秦にもたらした。だけど彼らは、元は中国の中央部の出身で、しかしすでに文明が成熟していた母国では自分の思想を訴えても聞き入れてもらえる余地がなく、それで辺境の秦へと流れてきた人たちだったんですね。この宮崎さんの指摘が興味深いのは、近代にアメリカが発展する構図を思わせることです。既得権を持つ人が少なく、人材の流動性が高い遊牧民的なフロンティアでこそ、斬新なアイデアが全面的に採用され、イノベーションを起こす。そうした気風は今日のシリコンバレーまで共通です。(2)遊牧民を封建制に組み込んだ曹操三国志の曹操も、北方の遊牧民を騎馬隊に組み込み軍事力を強化した点は同様です。しかし曹操は屯田制も導入し、彼らに定住を促す政策を採りました。中国では内乱が起きると農民は逃げてしまうので、「食べられる生活は保障するから、この土地を耕せ」と軍団ごとに命令したわけです。宮崎の見方では、これが中国史における「封建制」に相当し、曹操の手法を微調整しつつ、楊貴妃との恋で有名な唐の玄宗まで続きます。ところが安禄山の乱で統治が崩壊した結果、「もう封建制の路線では無理だ。その先の社会に行こう」となった文明が中国だ、と宮崎さんは考えました。では、封建制を止めてどうするのか。唐の次の統一王朝である宋の時代に、実は中国では、直接税と間接税のバランスが大きく調整されます。屯田制で「この土地で働け」と言っても、どうせ人は逃げてしまう。だったら農民はもう、どこに住んでくれてもいい。代わりに商取引ごとに課税するから、場所は問わず「物を売り買いした際」に税を払ってね、と発想を切り替えたわけです。(2)究極の「新自由主義」の果てに(ア)必需品である「塩の専売」が財源もっとも商業課税と言っても、多くを占めたのは「塩の専売」でした。生活必需品の塩は沿海部でしか取れないので、原価の30倍超の価格で内陸部の住民に売りつけ、国の財源にする。これは実際に儲かるので、以降は兵士も傭兵を雇えばよくなり、ますます封建制は不要になります。ところが専売制の結果、ちょうどアメリカで禁酒法がマフィアを台頭させたように、「塩賊」と呼ばれる闇で塩を売る業者が力を手にしてしまう。いつしか国民も「国より安くサービスを提供してくれるなら、そっちでいいや」と思い始める。そうした光と影の両面を宮崎さんは指摘します。いま、NHKに受信料は払いたくないが「お得なAmazonプライムになら進んで払う」日本人は少なくない。そうした国家に公共性を感じない状況の、先駆けが中国だったとも言えます。(イ)科挙という「教育なきメリトクラシー」社会の流動性を抑制せず、むしろ促進する政策を採った宋朝以降の中国を、代表するしくみが有名な「科挙」です。同じ時代の日本でも西欧でも、政治の担い手は「家柄」で選ばれたのですが、中国だけは試験で選んだ。しかしやはり宮崎さんが指摘するように、科挙は「教育なきメリトクラシー」でした。近代社会のメリトクラシーでは、国が学校を建て、国民皆教育の上で試験を実施しますが、中国は学校をつくらず、試験だけをする。なので拙著『中国化する日本』(文春文庫)でも書いたように、民間に宗族と呼ばれる巨大な親戚グループが作られ、一番優秀な子弟に一族が送金し、超一流の家庭教師をつけて勉強させる形になります。教育まで「民間にできることは民間に」なのです。

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