ファイナンス 2024年7月号 No.704
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ファイナンス 2024 Jul. 57令和6年度職員トップセミナー なぜ、いかに、「ユーラシアと日本」を考えるのか?1.「全世界が西側になる」シナリオの破綻梅棹忠夫『文明の生態史観』1.2つの戦争と梅棹史観:1950から2022へ(1)第一地域と第二地域2.先人の知に対する敬意とリサイクルを『応仁の乱』(中公新書)で知られる呉座勇一さんと、共著『教養としての文明論』(ビジネス社)で論じたのですが、冷戦下の日本の学者たちは決して、西側=欧米との対比でのみ自国の歴史を捉えてきたのではありません。むしろ当時は共産圏が広がっていた「ユーラシア」と対照しつつ、日本文明の特質を捉える議論が多くなされてきた。その知恵を「もう一度回す」という意味でリサイクルすることが、いま有益だと考えます。学問的な論文を書くときは、当然ながら先行研究を批判する。それが勢い余って、先行世代といえば「けなす対象」だと決めつけるのは、学者の悪い癖です。先人の知見に敬意を持ちつつ、改めるべき箇所を改訂してゆく姿勢が大切です。ニヒルな世界の見方がここまで広がると、「欧米=『西側』の自由民主主義こそが、全人類に共通の理想なのだから、日本人もその方向を目指すべきだ」とする、冷戦終焉以降の議論の前提もまた、疑わしく感じられるようになります。「欧米が結集してウクライナを勝たせようと言ってきたのに、結局はプーチンが勝ちそうだ」、これは一体何なのか? という状況です。『教養としての文明論』で採り上げた、ユーラシアとの比較で日本文明を考察する名著五冊のうち、四つを今日はご紹介したいと思います。一冊目は、梅棹忠夫の『文明の生態史観』。1950年代の後半、高度経済成長が始まり出した時期の論考を中心に集めた著作ですが、いまもユーラシア史の「基礎論」として有意義です。梅棹さんの見取図では、ユーラシア世界とは、東西の両端にあたる西ヨーロッパと日本が「第一地域」、真ん中のすごく広い部分は「第二地域」とざっくり二つに分かれる。その歴史的な根拠は、「第一地域」である西ヨーロッパと日本にのみ、前近代の間に封建制が存在した点だという。「第一地域」の封建社会とは、地方ごとにそこそこの有力者が数多くおり、政治も経済も分権的に動かすしくみだった。それが基盤となって、西欧と日本は近代に安定した自由民主主義を発展させることができた、とするのが梅棹説です。対して、ユーラシア大陸の「第二地域」は大きく四つの文明圏、つまり中国文明、インド文明、ロシア文明、イスラーム文明に分かれる。これらはそれぞれに高度な文明を発展させるけれども、定期的に、チンギス・ハーンのモンゴルのような遊牧民に侵攻されて荒廃する。なので、王朝が滅亡するごとに一からやり直しになり、定期的にリセットされるから、歴史の進歩が蓄積しない。持続性を持つ地元の有力者が存在せず、封建制を欠くこれらの地域では、専制的な「帝国」の支配が標準的になる。皇帝が全権力を握る裏面で、「あの人も最近落ち目じゃないか?」となると、みんながそっぽを向き、大反乱が起きて王朝が転覆する。この繰り返しが「第二地域」の歴史だと、梅棹さんは1957年の論考で素描しました。(2)マルクス主義の予言が外れた梅棹の議論の背景として重要なのは、1950年から53年の朝鮮戦争です。北朝鮮がソ連と中国の支援を受けて、半島を統一し共産化するために起こした戦争ですが、その目論見は失敗しました。この体験は当時の日本の知的世界に、「マルクス主義の予言が外れる」という衝撃をもたらしていた。やがて冷戦終焉によって起きる大きなショックの、遠い前触れという感じですね。「マルクス主義に従えば社会主義が勝つ、つまり朝鮮も日本も共産化するはずではなかったのか?」と、多くの人が疑問を抱いた。そこに梅棹さんが登場し、「日本と西ヨーロッパは、そもそも真ん中のユーラシアとは違うのです。確かにロシアや中国はいま社会主義ですが、あれは前近代の『帝国』の変種ですから、日本や西欧に普及することはありません」と説明してくれた。

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