ファイナンス 2024年7月号 No.704
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図4 池袋予想図ファイナンス 2024 Jul. 55(出所)豊島区資料から筆者作成中池袋公園新・電気街旧三越裏通りハレザ池袋アニメイトWACCA池袋ビック旧三越LAVIYAMADAビックカメラ池袋駅歩行者優先区域車道歩道歩道化 プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)は乙女ロードと言われている場所で創業した。平成12年(2000)、同じ通りに大型店を新築し本店とする。この頃から女性オタク向けの物販店やカフェが集まり、通りは乙女ロードと呼ばれるようになった。池袋駅前の“歩く街”化も進んでいる。前提が、令和9年度(2027)予定の都心環状線5の1号、通称明治通りバイパスの開通である。首都高速の高架下、サンシャインシティの前の通りが新しい明治通りとなる。現在の、駅に並行する明治通りを通る車がバイパス線を通るようになる。「旧」明治通りは、駅前の南北で袋小路となる計画だ。そして駅正面からまっすぐ伸びるグリーン大通りが歩行者専用となり広場化する。さらに駅から旧三越裏通りまでの一帯に車が進入できない歩行者優先区域ができる(図4)。平成27年(2015)年、中池袋公園の向かい側にあった豊島区役所が明治通りバイパス沿いに新築移転した。跡地は再開発され、劇場やシネコンを併設するハレザ池袋ができた。その隣には平成24年(2012)に移転したアニメイトの本店がある。中池袋公園を中心に新しい中心街ができた形だ。他方、ビックカメラ近隣は電器街になりつつある。平成21年(2009)に三越が閉店、店舗は改装されてヤマダ電機(現・ヤマダデンキ)LAVIとなった。西武百貨店の半分はヨドバシカメラになる予定で、一連の変貌は現代文化の世代交代のようにも映る。おばあちゃんの原宿から癒しのまちへ戦前の一等地だった巣鴨は戦後どうなったか。はじめは近隣住民の日用を賄う商店街として発展した。昭和4年(1929)の路面電車の延伸に伴い、中山道に並行するバイパス線の白山通りができた。通行量は白山通りに譲ったが、かえって旧中山道は歩行者用の道になった。高齢者寄りの商店街になったきっかけが、昭和44年(1969)に巣鴨駅前に出店した西友ストアである。日用の買物客は西友ストアに流れたが、その代わりに門前商店街の性質を強めていった。「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるようになったのは昭和60年前後である。当時の高齢女性はモンペを継承する「モンスラ」をよく履いていた。その頃に流行していた「竹の子族」が身を包んでいた蛍光色のハーレムスーツをモンスラに見立てている。ハーレムスーツではなくモンスラや赤パンツなどを売るファッション店、クレープではなく塩大福など和菓子を出すスイーツ店が多い点が年齢層は違うが原宿のようだった。「おばあちゃんの原宿」で一躍有名になり、首都圏一円、ときには全国から人が集まるようになった。東日本大震災やコロナ禍の影響はあったが、現在も高齢者のまちとして賑わっている。約200店舗の構成を見ると、おばあちゃんの原宿と呼ばれた頃から営業を続ける業歴40年以上の店が少なくとも60店は残っている。一般論を言えば、自分で所有する店舗を持つ店が商店街の強みだ。賃料相場のプレッシャーに抗い個性的な店を出すことができるからだ。もっとも、本家原宿に竹の子族はいない。モンスラを履いていた「おばあちゃん」も世代交代し、「おばあちゃんの原宿」に代わるコンセプトが求められる。高齢層が多いとはいえ、まち歩きで来街する若者も増えている。意外にも近隣住民は若者が多い。池袋が常に変化を求める刺激的なまちならば、巣鴨は伝統をつなぐ癒しのまちと位置づけられる。ネット社会、コンプラ社会で何かと息苦しい世の中だ。心のとげが抜けるまちと捉えれば癒しに年齢は関係ない。インバウンドの文脈を踏まえると、巣鴨もルルドの泉のようなポジションを獲得していくのだろうか。世代を超えて愛される癒しの奇跡のまちである。

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