(出所)令和6年6月15日に筆者撮影図3 サンシャイン60と乙女ロード通りと明治通りの南東角にあった。前年、丸ノ内線が池袋駅と御茶ノ水駅の間で開業していた。戦後初の地下鉄で、東京では銀座線に次ぐ2本目の路線だった。池袋駅にターミナル百貨店が集中しているのが池袋の特長である。反面、賑わいが駅の外に広がらないことから「駅袋」と呼ばれた。池袋のターミナル百貨店の源流は京浜電気鉄道(現在の京浜急行)が白木屋百貨店の支援を受けて立ち上げた京浜デパートである。現在の京急ストアの前身で、鉄道の拠点の品川を本店に、蒲田、鶴見、高田馬場に分店を出していた。池袋分店は昭和10年(1935)、国鉄池袋駅の東側にあった武蔵野鉄道の駅端に出店した。京浜電気鉄道の名前を憚って「菊屋デパート」と称した。白木屋大塚分店の3分の1程の小型店だった。昭和15年(1940)に武蔵野鉄道が買収し武蔵野デパートに改称。西武百貨店となったのは昭和24年(1949)である。昭和25年(1950)、国鉄池袋駅西口の駅ビル(民衆駅)に東横百貨店(後の東急百貨店)の支店が出店した。昭和32年(1957)、東口の駅ビルには京都本店の丸まる物ぶつが東京丸まる物ぶつを出す。同じ年には三越が明治通りを挟んで向かい側に池袋店を出店していた。昭和37年(1962)、東武鉄道が東横百貨店の南隣に東武百貨店を開店。百貨店は5つになった。その後、池袋の百貨店はいくつかの日本一を打ち立てる。昭和44年(1969)、西武百貨店が隣の東京丸物を買収し池袋パルコに改装。翌年連絡通路でつながり日本一長い店舗となる。東武百貨店は隣接する東横百貨店を買収、取り壊して昭和46年(1971)に15階建の日本一高い百貨店を新築した。昭和57年(1982)、三越から転じた坂倉芳明社長の下、西武池袋店は三越本店を抜き売上高全国首位となる。西武ライオンズの日本シリーズ初優勝の年でもある。平成4年(1992)、東武本店は増床で売場面積が全国首位となった。この頃、特に西武百貨店は文化の発信源でもあった。上階に、現代美術を中心に先鋭的な企画展で知られる西武美術館(後にセゾン美術館)を設置したり、ブランド信奉に物申すスタンスから「無印良品」を立ち上げたりと、いわゆる「セゾン文化」の全盛期だった。「駅袋」から駅の外に人の流れを生むきっかけとなったのが、巣鴨プリズン、東京拘置所の跡地再開発で昭和53年(1978)に完成したサンシャインシティである。当時日本一の高さを誇るサンシャイン60をシンボルとした複合施設で、階下にショッピングセンター、水族館、劇場、展示場などがある。60階の展望台は東京タワー特別展望台より高く耳目を集めた。サンシャインシティはロードサイド立地の郊外大型店の性質を合わせ持つ。1,800台分の駐車場を擁し、ショッピングセンター部分は地上3階地下1階、店舗面積46,641m2(当時)でフロア当たりの面積が大きい。最奥部には首都高速道路5号池袋線の東池袋ランプに隣接するバスターミナルがある。サブカル&ウォーカブルに変わる池袋目下、豊島区は「国際アート・カルチャー都市」構想の下でまちづくりを進めている。池袋モンパルナスの伝統を継ぎ、東京芸術劇場やシアターグリーンなどに代表される劇場文化も盛んだ。セゾン文化に象徴されるように、時代を通して現代的かつ先鋭的な文化を希求してきた。こうした流れを俯瞰するに、2000年代以降で顕著なのはアニメを中心としたオタク文化である。アニメショップ最大手「アニメイト」は昭和58年(1983)、サンシャインシティの西辺の、現在 54 ファイナンス 2024 Jul.
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