ファイナンス 2024年7月号 No.704
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ファイナンス 2024 Jul. 21*71) 英語会話のできない英語教師が当たり前だった背景に、その伝統があったと考えられる*72) 「万物の黎明」デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ、光文社、2023,p359−60日本語と日本人(第4回) 中華文明圏が創り上げられてきたのだ。日本が幕末、米国などとの厳しい条約交渉に一歩もひるむことなく対応できたのも漢文に親しんでいたおかげだったと言えよう。日米修好通商条約は、治外法権を認めた不平等条約だったとされているが、実は日本も米国も自国民は相手国にいても自国の法律で裁くとした極めて論理的な条約だった。そのような論理的な条約交渉が行えたのも、江戸時代の武士たちが日ごろのコミュニケーションを漢文の筆談で行っていたからだった。筆談が当たり前の世界では、今日の日本人のように英語が話せないからと言ってものおじするようなことはなかった。言葉が違う人間同士で、相手の話す言葉を理解できないのは当たり前。筆談となれば、どちらが先に話すかなどは大した問題ではない。相手が大きな声で話しても、こちらが大きな声を出す必要もなかった。唐の時代、遣唐使で中国に渡った阿倍仲麻呂が、安史の乱の前に高官に上り詰めて玄宗皇帝にまで仕えたのもそのような漢文のおかげだった。仲麻呂は、もちろん後には中国語に熟達していったはずだが、唐にわたった当初は筆談でしか円滑な会話は出来なかったはずだ。しかしながら、国際都市だった当時の長安では筆談が普通のことだったので、漢文さえ読めればなにも困らなかったのだ。しかも日本人は訓読法を発明して漢文を日本語と同じように読めるようにしていた。それは、日本国内にいて外国語を勉強しなくても「グローバル」な漢字文明を吸収できるようになっていたということだった*71。筆者は、財務省の現役時代から高橋是清の研究を行ってきたが、その際の疑問が高橋がどうしてあんなに外国人とフランクに交流できたのだろうかということだった。留学のつもりで米国に行ったら奴隷契約を結ばされてしまった話が有名だが、そんな中でも隣の牧場の娘さんと親しくなったりしているのだ。今日、その秘密は高橋に漢文の素養があったからだと考えている。しかも、中国語には主語があるので、その感覚で英語を学ぶことは現在のわれわれよりもはるかに容易だったはずだ。漢字による統治システムの創造筆者は、昨年エジプト旅行をして、エジプトの象形文字の遺跡を目のあたりにする機会を持った。古代エジプト王国はシリアまでをも征服して幅広い交易をおこなっていたのだが、それに際しては目で見て容易に理解できた象形文字が大いに役立ったはずだ。古代インダス文明にも、解読されていないが独自の象形文字があり*72、交易や統治に役立っていたはずだ。ところが、それらの象形文字の中では中国の漢字だけが生き残り、他の象形文字は滅びてしまっている。それには、中国の漢字が他の象形文字とは異なり個別に意味を持つ「表意文字」だったことが大きかったと考えられる。そのことが、儒教と結びついた統治システムを創り出し、そのようにして創り上げられた統治システムは、漢族のみならずモンゴル族や満州族といった多くの民族にとっても中国大陸を統治する上において大きな力になったのだ。だれにでも容易に理解できるという大変な長所をもつ漢字を多くの民族が利用することによって、中国4000年といわれる歴史が育くまれてきたのだ。漢字を利用してのコミュニケーションにより多くの民族の様々な思想や文芸が融合した中華文明が生まれきたのだ。それには、歴代の中国王朝が漢字の使用を統治の手段に限定して他の民族の言語、文化を尊重してきたことが、あずかって大きかったといえよう。ところが、その素晴らしい伝統が、今日、言語を北京官話に統一するという中国政府の政策によって失われようとしている。北京官話への統一は、漢字文化圏で分離していた話し言葉と書き言葉を融合させようという試みなのだが、それは、多民族国家である中国の中華文明の核心を失わせるおそれのあるものなのだ。次回は、その現状について、中国語の歴史を遡りながら見ていくこととしたい。

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