ファイナンス 2024年7月号 No.704
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*38) 元代から西・西南部の中国の少数民族地区に置かれた一種の地方官。土着民族の長を集落の長官司として、従来の慣行による自治にゆだねていた。*39) 「越境の中国史」菊池秀明、講談社、2022、p91−94、97―8、p106−111*40) 民間の海外貿易や海外渡航を禁止、制限した政策*41) 南シナ海の版図を拡大したのは日本だった。日華事変勃発2年後の1939年、日本は南沙諸島の領有を諸外国に通告した(「国家の総力」兼原信克、*42) 岡本隆司、2016、p134、「日本思想史と現在」、渡辺浩、筑摩書房、2024、p108*43) 岡本隆司、2016、p155*44) 竹内照夫、1981、p316―17、328−35、340−45。陽明学は、明治維新を導いたともされる一種の危険思想だった。*45) 清朝末期、日本と同様の立憲君主制を導入して中国の近代化を推し進めようとした運動*46) 「論語の活学」安岡正篤、プレジデント社、1987*47) 「論語」陽貨編17*48) 新約聖書も、キリストと弟子たちとの対話集である高見澤将林、新潮新書、2024、p144)つつ、西南諸民族に対しては元代から行われていた自治である土司制度*38を否定して中央政府の任命する地方官(流官)を派遣して中央集権化を推し進めたが(改土帰流政策)、その際に実施したのが西南地域の指導層への科挙の優遇だった。優遇された科挙の合格枠には、当初、科挙に受からない先進地域の読書人が競って受験したが(寄籍、冒籍)、やがて西南諸民族の指導層の中にも地域における自らの支配力を万全なものにするために進んで科挙を受ける者があらわれてきて中国の「大いなる統一」が実現したのである*39。それが、中国の歴史上最大規模にまで拡大した清朝の領域支配だった。今日の中国は、そのようにして拡大した清朝の領土を中国固有の領土としているが、清朝以前の歴代王朝の版図からすれば相当に拡大したものである。特に海に関しては、明にしても清にしても17世紀後半までは海禁政策*40をとっており、南シナ海を自国の版図などとは考えていなかったのである*41。清朝は、近代になって列強に侵略されるようになると、華夷秩序の考え方から化外の民である列強が武力で清に勝ってもそれは優越を意味しない、むしろ軽蔑、否認すべきことだ*42。やがて最後には礼を知る中国の感化を受けて中国に同化されるはずだとして自らの統治を正当化していた*43。清朝が、なかなか倒れなかった背景にあった考え方である。明治維新期に日本の文明開化を見て行われた変法自強運動も、そのような認識の下に行われたものだった。「機能主義的な華夷観」を可能にした漢字文化清朝の「機能主義的な華夷観」が支配の道具として儒教を用いながら、それによって各民族の文化を縛るようなことをしなかった背景には、名詞も動詞もなくテニオハも語尾変化もないため、いかようにでも解釈できる漢文の存在があった。漢代に、本来政権に対して批判的だった儒教が無批判な古典学になっていったのも、漢文のそのような性格からのものだった。そして、漢代以降も、統治の道具ということを逸脱しない範囲の中で、儒教には様々な学説が登場した。性善説あり、性悪説あり、朱子学があり、陽明学がありというようになっていったのだ。宋代に朱熹によって新しい学問体系として説かれるようになったのが、日本の徳川幕府も採用した朱子学だった。朱子学は宋代の商業の発展を背景に実用主義に傾いたものだったとされている。それは、仏教、道教の影響もうけて、現実世界の奥に、理(万事万物を現出せしめる必然原理、善美の規範)の世界、真実在の世界があると説いた。それに対して、朱熹の論敵だった陸象山は、孟子流の性善説を徹底して、禅宗の哲学に近い「心即理」を説いた。さらにそれに反発したのが王陽明で、実践を重視する陽明学を説いた。そのように儒教に様々な学派が出てくる中で、清朝は知識階級の政治活動を制御して統治を円滑に進めるために、漢唐訓詁の経学研究(考証学)を保護奨励した*44。そして、そのような考証学の中から、明治維新を目の当たりにすると、春秋公羊伝の研究に基づき政治改革の必要性を説いた康有為の戊戌の変法*45などが登場していったのである。聖人の尊い教えを伝えているはずの儒教について、いかようにでも解釈ができたなどと言うとそんな馬鹿なと言われそうであるが、そのことに筆者が思いいたったのは、浩志会という官民の研修会で安岡正恭氏(安岡正篤氏の御子息)の指導の下「論語の活学」*46を学んだところによる。そこには、ただぶらぶらしているよりは、博打でも打っていたほうがいいと孔子が語った話*47が出てくる。それは孔子が人を見て法を説いていたからであった。「論語」は、孔子と弟子たちとの対話集である*48。孔子は弟子を導くために、相手によって様々なことを説いていたのだ。なお、「論語」 18 ファイナンス 2024 Jul.

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