弟子屈町 まちづくり政策課政策調整係長佐々木 章丞ファイナンス 2024 Jun. 59摩周湖川湯温泉の整備後の全景イメージ町内には数種類の泉質の『温泉』があり、日帰り入浴や自宅まで温泉を引くスタイルにより身近に温泉を味わうことができます。強酸性の硫黄泉の川湯温泉をはじめ、屈斜路温泉、和琴温泉、仁伏温泉、摩周温泉など多種の温泉が湧いています。町名の弟子屈(てしかが)の由来は、アイヌ語で「テシカ・ガ(岩磐の上)」という意味になります。この場所は弟子屈町の中心市街地に位置しており、かつては釧路川がその岸を洗っていました。非常に岩の多い急流でしたが、同時に魚のたまり場のようなところでもあったため、アイヌの人達は何とかこの魚を獲りたいと網をかけようとしました。ところが、岩が多く1.弟て子し屈かが町ちょうの概要弟子屈町はひがし北海道の中心に位置し、西北面は高く険しい山並みがオホーツク地域に接し、東の山並みは根室高原に連なり、南は標茶町を経て釧路湿原に隣接しています。また、近隣には車で1時間30分圏内に3つの空港があり飛行機での交通アクセスに恵まれ、道東の自然を満喫したい観光客が多く訪れています。本町は面積の65%が阿寒摩周国立公園内にあり、世界有数の透明度を誇る摩周湖の山麓に広がり、千島火山帯に属する高原地帯で、屈斜路湖を源とする釧路川が地域の中央を流れ、平地が少なく起伏の多い地勢です。ついに杭を打ちこむことが出来なかったそうです。アイヌの人達は「せっかくたくさんいる魚をとる仕掛けもできない岩磐の上だ」と嘆いたそうです。弟子屈の語源はここから生まれました。本町の川湯温泉は、日本最大のカルデラ地形である阿寒摩周国立公園内に位置しており、温泉街の南側にそびえる硫黄山の地熱により温められた温泉が湧出し、温泉川となり温泉街を流れています。北海道随一、全国でも屈指の強酸性の泉質で、硫黄山の硫黄採掘が始まった明治時代から湯治場として繁栄してきた歴史ある温泉地です。1950年代から高度経済成長と共に発展してきた川湯温泉ですが、バブル経済の破綻に起因する景気後退や、団体旅行から個人旅行への旅行形態の変化、消費から体験へと変化した旅行の目的など、時代の変化に順応することができずに廃業や休業に追い込まれるホテル旅館が相次ぎ、1991年の年間宿泊客56万人をピークに現在では年間宿泊者数102. 「湯の川がつむぐカルデラの森の温泉街」を目指して生きたいまちへ。行きたいまちへ、 弟子屈町
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