プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)ファイナンス 2024 Jun. 49図8 現在の永田橋市場・末広市場図9 末広市場の内部(「あまみ家とっと」の前)ん』(東京ニュース通信社)に詳しい。2つ目は、島外に住む奄美出身者あるいは島にルーツを持つ人の郷土愛である。去る4月末、奄美市役所で「奄美群島活性化応援セミナー」が開催された。財務省の主催、奄美市の共催で筆者も基調講演に登壇した。財務省(財政投融資特別会計)は様々な施設整備資金を自治体に融資している。地域金融機関と同じく融資先の財政をモニタリングし、経営アドバイスやマッチング等を通じて本業支援をしている。そして今般、「地域課題解決よろず支援」制度を立ち上げた。セミナーはその第1弾で、仕掛け人は理財局の大江賢造計画官である。大江計画官は奄美三世だ。また、東京奄美会の会長を務めていた大江修造氏(東京理科大学の元教授)の長男でもある。東京奄美会とは奄美出身者とその縁故者で組織された13の郷友会の連合体だ。「奄美の島々から出て来て首都圏で暮らす人々がお互いに励まし合い、助け合い、郷土に何かあれば積極的に応援したいという志しを持った人々の集まり」である。明治37年(1904)に発足した歴史ある組織だ。同じような奄美会が中部、関西、神戸、広島、福岡、鹿児島など全国にある。傘下にある小単位の郷友会を考えると、そのネットワークはきめ細かく、かつ相当な規模であることは想像に難くない。出身者の恩返し開業もある。前述のビッグⅡは鹿児島の大島紬「都喜ヱ門」で知られる藤絹織物の関連だ。出店は創業者の藤都喜ヱ門が名瀬で生まれ、修行したことにちなむ。今年4月、奄美市の西隣の大やまと和村そんに「奄美温泉大和ハナハナビーチリゾート」がオープンした。島内初の温泉を目玉にプールやホテルからなる複合リゾート施設だ。運営会社の本社は東京だが、大和村出身の社長の故郷に対する思いが結実している。本件には自治体との公民連携案件の側面もある。施設スタッフの社宅を想定し大和村が「政策宿舎」を整備した。それも民間が資金拠出し30年にわたって維持管理を担うPFI方式で公的負担は少ない。3つ目は島外の人たちの奄美大島への愛である。昭和スタイルの永田橋市場、末広市場にはIターンした若手事業家がカフェや雑貨店を開店している。地元FM局「あまみエフエム・ディ!ウェイヴ」(77.7MHs)もスタジオを構えるオシャレ空間となった。Iターンとはいえ、配偶者や近しい友人が奄美大島出身のケースも多そうだ。離島生活への憧れだけでなく、仕事上であれ島での社会関係が移住において重要なポイントであることが見て取れる。2月に開店した島ドーナツの店「あまみ家とっと」もU・Iターンである。龍郷町にコンサルティング事務所を構える「オフィス青あおん音」代表の中村安久氏は鹿児島県霧島市の出身。鹿児島銀行大島支店の38代目の支店長だった。次の任地の県庁支店時代に銀行を退職し、大島支店の取引先だった町田酒造の社長になった。同社は黒糖焼酎「里の曙」の蔵元で、当時は後継者難に悩んでいた。就任後、働き方改革を進め、商品力を高めては国際賞を獲得するなどした。再生が軌道に乗ったところで社長業を後身に託して独立。現在は島内企業37社の本業支援、地域シンクタンクを通じた政策提言などを通じ、奄美の発展や文化の継承に取り組んでいる。
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