ファイナンス 2024年6月号 No.703
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図7 昼の屋仁川通り地も最高路線価地点と同じ場所で、本年1月の前年比上昇率は県内の商業地で最も高い3.2%だった。路線価の水準は鹿児島市天文館に次ぐ県内第2位だ。背景にあるのが名瀬の集中度の高さだ。琵琶湖をひと回り大きくしたほどの奄美大島の人口は6万人弱だが、そのうち奄美市に4万人弱が住む。地理的に他の地域で代替できないため人口の割には都市機能が充実しており、財務省財務局の名瀬出張所をはじめ国や県の出先機関が名瀬に集中している。名瀬に本店を置く信用金庫、信用組合もある。地元新聞社は2紙ある。上昇基調の背景は観光地としての集客期待だ。特筆すべきところでは令和3年(2021)7月、沖縄島北部、西表島、徳之島とならび奄美大島が世界自然遺産に登録された。亜熱帯多雨林、広大なマングローブ林、北限と南限の境目に展開する希少かつ多様な生態系が評価された。固有種も哺乳類はアマミノクロウサギの他7種、昆虫類等は700種近くある。名瀬港ではウォーターフロント開発が進んでいる。埋立地のマリンタウン地区にはホテルが建ち始めた。奄美大島の伝統産業といえば黒糖と大島紬だが、輸入製品や洋装の影響で衰退した経緯がある。所得構成としては埋め立て事業やトンネル工事など土木建設や、公共工事を発注する側の「公務」(産業分類)のウェイトが高い。地理条件がゆえの必要性はありつつ、補助金はじめ財源の外部依存度の高さが課題だった。こうした中、経済の自立に向けた戦略分野が観光だ。公共施設としては、市街地から車で15分ほどの距離に大浜海浜公園がある。夕日が美しいホワイトビーチが目玉で奄美海洋展示館(水族館)もある。休業中のタラソ奄美を含め、民間の資金と企画力を生かした一体的な再生が期待される。スポーツ合宿の誘致にも注力している。昨年に続き横浜DeNAベイスターズ2軍のキャンプ地となった。実業団の七十七銀行野球部も平成15年(2003)からほぼ毎年合宿している。観光振興のポイントは、狭義の観光産業であるホテルや飲食店、土産物店の活性化にとどめず、観光を体験型のアンテナショップと位置づけ、移出経済の土台となる農水産物やその加工品を将来の定番商品に育成することである。無比の自然環境を生かした食品、デザインに独自性を求めた大島紬など新商品開発も集客に勝るとも劣らない課題といえる。文化の継承といえば、屋仁川通りの奥にある郷土料理店「なつかしゃ家」は、元教員が定年退職後、奄美の食文化を次代に継承する思いを込めて立ち上げた店だ。その経緯は店主の恵上イサ子氏の著『奄美ごは郷土愛と絆が原動力奄美大島には大願成就に必要な天地人の3要素が揃っている。インバウンドをはじめとする観光の盛り上がりという「天の時」、世界自然遺産に認められた自然環境、本稿でも触れた歴史と文化の遺産が「地の利」だ。そして何より強いのが、苦難の歴史を共有するもの同士の「人の和」だ。旧藩時代の複雑な感情もつい1世代ほど前までは実際あったようだ。昭和61年(1986)の鹿児島県警『離島勤務の手引』に「鹿児島の方言を使っての日常業務は、離島各地においては、歴史的背景もあり大きな障害となっていることを肝に銘じておく必要がある」とある。考えるに「人の和」には3つの側面がある。1つ目は奄美大島に生まれ、住む人の郷土愛だ。地元大手の有村商事は大正11年(1922)創業の老舗企業で、元々大島紬や黒糖を扱っていた。現在は石油、酒類、米穀の総合卸を軸に、グループ会社でフェリー、ホテル、醸造、旅行、マンションなども手掛けている。多様化するニーズに自ら対応しようとすると自ずと多角経営になっていく。根底にあるのは「奄美群島の発展や文化の継承の一助になっていく」(同社webサイト)という情熱だ。大浜海浜公園と園内の奄美海洋展示館の運営を担う谷木材商行の祖業は建材卸である。一見脈絡のない多角化の背後には観光振興に対する代表の熱い思いがある。この他も本業の枠を超え、地元活性化こそが本業とばかりの企業が少なからずある。 48 ファイナンス 2024 Jun.

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