佐大熊長浜朝仁隧道運動公園大浜海浜公園塩浜図2の範囲平松浜里タイヨー小宿朝仁タイヨー平田内陸地区古田地名埋立地小浜鳩浜大熊朝日浦上有屋タイヨービッグⅡ→ 図6 広域図(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成ファイナンス 2024 Jun. 47上方地区下方地区↓古見方地区本店は鹿児島県鹿屋市にあった。昭和53年(1978)、熊本を本拠とし九州各地に店舗網を広げていた寿ことぶき屋やが名瀬に店を出す。中央通りと末広通りの2店3館に分かれていた。現在、まるはセンターの跡地は観光交流センターの奄美市AiAiひろば、中央通りの旧寿屋は地元スーパー「グリーンストア」になっている。街の郊外分散の経緯奄美大島は山がちで平野が少ない。両側の急峻な山麓で互いの往来が制限された谷間の集落は「シマ」と呼ばれた。もっとも、海上の「島」に喩えられた地理環境は昭和40~50年代に進められた沿岸の埋め立てで大きく変わった。図6の地名のうち埋め立ててできたものを竣工順に挙げると塩浜、佐さ大だい熊くま、小こ浜はま、長浜、鳩浜、浜里および平松となる。埋め立て事業による新たな平野は車道とトンネルで結ばれ、互いに分散していた地域の一体化が進む。名瀬湾に沿って業務地が広がり公共機関や民間企業が移転した。中心街に対して北西の「上かみ方ほう」、北東の「下しも方ほう」、南側の内陸(奄美)地区には郊外住宅地が広がった。街の拡大と一体化に伴って車社会化が進み、郊外店舗も増えてきた。郊外大型店のはしりが平成4年(1992)にオープンしたダイエーである。地元の開発会社のプラザ大島が、福岡を本拠とするユニードダイエーとフランチャイズ契約を結んだ。店舗面積は4153m2と小ぶりだが総合世界自然遺産登録の追い風令和5年、最高路線価が「名瀬末広町中央通り」から「名瀬入舟町屋や仁に川がわ通り」に移った。金久本町通と直交する通りであることから、一等地が戦前に回帰したともいえる。今も昔もホテルと飲食店の集積地である。明治43年(1910)、当時の警察署が飲食店を屋仁川通りに集めて飲食店街となった。公示地価の基準スーパーの存在感は十分だ。平成28年(2016)、イオンプラザ大島店に転換。ダイエーの翌年にはタイヨー平田店が出店。現在は上方、下方、内陸のそれぞれに店舗があり、わざわざ買い物で中心街に上る必要がなくなった。タイヨーは鹿児島、宮崎県に展開しているスーパーだ。平成12年(2000)、「ビッグⅡツー」が名瀬の隣の龍郷町にオープンした。店舗面積は6,825m2と島内最大。総務省・経済産業省「経済センサス」によれば、令和3年の奄美大島の売場面積は48,843m2だった。ビッグⅡ、イオンプラザ大島、タイヨー浦上店の店舗面積を合わせると、奄美大島の売場面積の約27%となる。最近は商圏の重心が国道に沿って龍郷町に移りつつある。名瀬から奄美空港に向かう道の途中にあるのが龍郷町だ。島内最大のビッグⅡは龍郷町、3番目のタイヨー浦上店は龍郷町との境界まで1.2kmの国道沿いにある。令和6年1月の地価公示では龍郷町瀬留玉里の地価上昇率が3.6%と住宅地で県内最高だった。他の地方都市なら東京に向かう玄関口は新幹線駅だが、奄美大島の場合は名瀬から東に30km離れた奄美空港である。昭和39年(1964)に開港し、昭和63年(1988)にはジェット機対応の新空港が現在地に開設された。平成4年(1992)には羽田空港に直行便が就航。開港から60年と長い年月をかけ、船から航空機への交通手段の変遷が街の構造にも影響を及ぼしている。
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