ファイナンス 2024年6月号 No.703
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*43) 船橋晴雄、2023,p27。「和漢朗詠集」が編纂された。*44) 歌垣は、古代日本から東南アジアに至る広い地域での伝統だった(「越境の中国史」菊池秀明、講談社、2022、p104)。*45) 「世にも美しい日本語入門」安野光雅、藤原正彦、ちくまプリマ―新書、2006、p90−91*46) 船橋晴雄、2023,p61―66。田楽に親しんだのが白河院だった(五味文彦、2023、p196−97)。*47) 五味文彦、2023.7、p47−49*48) 「日本のクラシック音楽は歪んでいる」森本恭正、光文社新書、2024、p86−94*49) 「日本という方法」松岡正剛、NHKブックス、2020、p296.「赤い鳥」*50) 安野光雅、藤原正彦、2006、p90−91*51) 中丸宣明、2023、p16、27、30*52) 高島俊男、2001、p38−41、128−152*53) 最近の例で言えば、鉄道事業者がその管理下にある駅の中や近くで展開する店舗などを「駅中」といいうようになったのと同様の造語法*54) 岡田英弘、2021、p38、314日、毎年宮中で行われる歌会始においては和歌の朗詠が行われるが、和歌も漢詩も本来まずは耳で聞くものだった*43。日本では、貴賤を問わず生活と歌や踊りの間には隙間がほとんどなかった。男女がお祭りなどの際に集団で恋の歌を歌いあう歌垣の伝統があり*44、「わらべ歌」や「数え歌」などが生まれていった*45。歌に合わせた踊りも盛んだった。それらに熱中した高貴な人としては、平安中期に流行った今様に熱をあげた後白河院などが知られている*46。室町時代末期には、乱世になる中で歌や踊りが流行した。小歌を集めた「閑吟集」が編まれた*47。江戸期には、都都逸、端唄、大津絵節、ちょんがれぶし、あるいは祭文、説教浄瑠璃といったものについて多種多様な「唄本」が出版された。幕末には、「ええじゃないか」の踊りが大流行した。そのように日本人が、古くから広く歌に親しんできた割には、その作者はほとんど伝えられていない。バッハやベートーベンといった作曲家の名前は残されていないのだ。それには、ほとんどの歌が庶民の間での自然発生だったことに加えて、個人によって創作される邦楽が室町時代以降、男性盲人の互助組織である「当道座」によって創られるようになったことがあった。すなわち、盲人による創作は口伝での伝播、伝承で、しばしば集団作曲になったため、特定の個人がプレイアップされることがなかったのである*48。近年になっても、明治期には北原白秋の歌などが大流行し、大正期には世界に類例のない子供を対象とした表現運動として多くの童謡が作られた*49。明治から、大正、昭和まで徳島に住んでいたポルトガル人の作家は、「日本人は歌ばかり歌っている」とびっくりしていたという。大工はトンカチを叩きながら、お母さんは洗濯をしながら、行商人は商いをしながら、子供は学校の行き帰りに歌っていたという*50。風呂に入っても「うなる」人が多かった。それがなくなっていったのは、1923年の関東大震災以降で、同時期にレコード会社が設立され、ラジオが開局したことの影響が大きかったとされている*51。それと、学校で童謡をあまり教えなくなったこともあったと思われる。そのようにして日常生活で歌に親しんできた伝統が失われていったのだが、日本人が歌に親しんできた伝統は、今日のカラオケ文化に生きているといえよう。新しい日本語としては、文法構造のはっきりした欧米言語を基礎として、散文の文体が確立された*54。漢字を日本語化した日本では、「万葉集」以来、情緒を表現する韻文は素晴らしい発展を遂げていたが、論理欧米語との邂逅明治期に、日本語は欧米語と邂逅し、それへの対応を迫られることになった。そこで行われたのが、漢字を用いての欧米語の翻訳と、欧米語を下敷きにした新しい日本語の創出であった。まず行われたのは欧米語を漢字に翻訳して日本語に取り込むことだった。それによって、日本語での高等教育が可能になったのである。実は、日本と中国以外のアジアの国々では、今日でも高等教育は欧米語でしか行えないのが一般的だ。欧米語を自国語化できなかったからだ。それを、日本がいとも簡単に漢字を使って行ってしまったのは、かつて漢字を日本語化していった伝統からのものだった*52。中国は、そのように日本が漢字化した欧米語を逆輸入して高等教育を行うようになっているのである。英語を漢字に翻訳する際には、individual→個人、nature→自然、right→権利というように必ず2語の漢字に翻訳されたが、それは漢字の持つ豊かな意味包含力を利用しながら、たった2語で新たな概念を創り上げてしまうという伝統的な造語法*53によるものだった。なお、カタカナに翻訳された言葉はいつまでたってもカタカナで表わされている。例えばコンピュータである。そのように臨機応変に、外国語が日本語の中に取り入れられていったのである。 14 ファイナンス 2024 Jun.

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