*15) 「日本語の歴史」山口仲美、岩波新書、2006、p41−42。「漢字と日本人」高島俊男、文春新書、2001、p101。*16) 山口仲美、2006、p25−27*17) 山口仲美、2006、p40―41、212―15*18) シェイクスピアの戯曲にも、言葉遊びが数多く登場する*19) リービ英雄、2010、p20*20) 「日本史のなぞ」大澤真幸、朝日新聞出版、2016、p54*21) 「『見えないものをみる』ということ」福原義春、PHP新書、2014、p65)*22) おおむね、仏典は呉音で、漢籍は漢文で読まれていた(「訓読論」中村春作、市來津由彦、田尻祐一郎、前田勉、勉誠出版、2008、p134)*23) 山口仲美、2023、p225−231*24) 岡田英弘、2021、p156−57*25) 漢詩については、「日本の漢字 1600年の歴史」沖森卓也、ベレ出版、2011、p113−14、参照*26) 「古典再入門」三宅香帆、なごみ、淡交社、2023.2、p78語化していったのである*15。日本語の特徴としてダジャレ、ギャグなどの言葉遊びが盛んなことがあるが、それは漢字をその意味に従って日本語読みにする訓読みの導入がもたらしたものだった。仮名の発明で表意文字である漢字の意味を捨てながら、わざと漢字の意味を拾って臨機応変に漢字を「訓読み」して遊ぶようになったのだ。万葉集の時代には、「二八一」と書いて「二(に)八一(くく)」と読ませたり、「山上復有山ば」と書いて「出(いで)ば」と読ませたりしていた*16。「無学漢」を、「わからずや」と自由自在にフリガナを付けたりしていた。奈良時代までの漢語は主に仏教関係に限られていたが、そのような言葉遊びが行われるようになった中で、現在よりもはるかに多くの「やまとことば」が漢字化されていった*17。万葉集では恋を「孤悲」と書いたりしていた。恋とはひとり悲しむことといった面白い認識をそこに見出すことが出来よう*18。それは、仮名が「偽」であるがゆえに元の漢字の「正当性」に縛られない自由な日本語の世界が繰り広げられるようになったということだった。リービ英雄氏によれば、それは漢字という異質なものを日本語に同化した日本人が行った独特の創意工夫だった*19。そのように漢字が日本語化されていったのだが、今日でも漢字には元々のニュアンスが残されている。例えば、仮名の「こころ」と漢字の「精神」は同じものにはなってはいない。ほぼ同じものを指すが、印象として仮名では具体的、漢字では抽象的な感じになる*20。それは、夏目漱石の小説「こころ」の標題を「精神」にしたらどうだろうかと考えてみれば分かることだ。そこには、新しい文明を取り入れながらも先祖が築き上げてきた伝統を尊重するという日本の文化がある。その伝統は、例えば和歌における「本歌取り」にも生かされている。本歌取りについて、資生堂の名誉会長だった故福原義春氏は「もとの作品の存在を明らかにし、それに対する敬意を払いながら、独自の趣向を凝らすところが、単なる模倣(コピー)との決定的な違いである」としていた*21。お茶の道具でも「写し」といって、過去の名人の作品の模倣であることを明らかにしながら優れた作品を創り出すことが行われている。先祖の伝統を尊重するということでいえば、漢字について呉音、漢音*22というように歴史的な読み方を保存しているのは日本だけだ。漢字の本国の中国でも読み方は時代によって変遷してきて過去の読み方は忘れられてしまっているのに日本はそうしているのだ。そのように漢字を縦横無尽に日本語化してきた日本は、今日まで漢語以外の外来語もそのまま受け入れたり、時によって新しい言葉を創り出したりしてきた。その結果、日本語には和語、漢語、外来語が混在し、圧倒的に語彙量が豊富になっている。今日、語彙が豊富なのは、ラテン語やギリシャ語から多くの語彙を取り入れた英語とされているが、その英語と較べても日本語の語彙量はほぼ倍だ。英語は5000語をものにすれば9割の文章が書けるようになるが、日本語ではその倍の1万語でようやく9割程度が書けるようになるというのである*23。漢字を日本語化した日本の文化の発展仮名や訓読みにより漢字を日本語化した日本では、文字による自由闊達な表現が可能になり、多くの人が文字に親しむようになった*24。平安時代には漢文や漢詩と並んで人々の心情を読み込む和歌の世界が大きく発展していった*25。それを支えたのが「ひらがな」だった。当時の宮中には、夜通し起きている庚申待ちという文化があり、その場で女房たちが物語を語り合い和歌を読むことが行われていたが、そのような場からは「虫めづる姫君」のような様々な短編を集めた「堤中納言物語」などが創り出されていった*26。ひら 12 ファイナンス 2024 Jun.
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