ファイナンス 2024年5月号 No.702
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下関漁港 住友跡商業跡〒旧不動→労金山口ニチイ跡大洋跡大丸②跡大丸①跡ファイナンス 2024 May 57図3 旧三井銀行下関支店(現やまぎん史料館)図4 旧英国領事館卍卍卍卍細江町卍卍卍卍南部町卍卍卍卍卍卍下関駅(出所)令和6年3月15日に筆者撮影シーモール大丸③エイラクパチンコ跡日和山卍卍岬之町(出所)同左街道筋正金↓第1跡廃線跡旧水面永福寺百十↓日銀↓百十跡旧三井→旧山口ホテル予定地市役所ユニード跡唐戸市場水族館旧電信局市民広場旧英国領事館唐戸図2 市街図(出所)筆者作成とっては、明治15年(1882)に本店と大阪支店を開業して以来の営業拠点である。西さい部ぶ支店といい、初代支店長は後に日銀総裁、蔵相、首相を歴任した高橋是清だった。元々門司港に開設する計画明治31年(1898)に移転した。地所は百十銀行が買収し、明治44年(1911)に行舎を新築して再び本店とした。三井銀行は、大正5年(1916)年に再び出張所を開設する。2年後に支店となり、大正9(1920)年に行舎を新築した(図3)。重厚な古典主義建築は辰野金吾の門下生、長野宇う平へい治じの設計である。30歳から43歳まで日銀技師として過ごし、47歳で独立した後も本件をはじめ多くの銀行建築を手掛けた。施主の三井銀行は昭和8年(1933)に営業を百十銀行へ譲渡し再び撤退。行舎も引き継いだ百十銀行はここを本店とした。5行統合で山口銀行が発足した後は同行の本店となった。戦後、昭和40年(1965)に本店を駅前の現在地に移してからは観音崎支店、本部別館として使われた。山口銀行創業130年となる平成20年(2008)にやまぎん史料館となり現在に至る。明治29年(1896)の開業で百十銀行に次ぐ規模だった馬関商業銀行も同じ通りにあった。大正時代に浪速銀行に合併され、その後十五銀行、帝国銀行となる。戦災を機に駅前に移転し、後年三井銀行となった。これも昭和44年(1969)に撤退したので、三井銀行は下関に3度出店し3度撤退したことになる。南部町の通りの中国労働金庫は、昭和9年(1934)に建てられた不動貯金銀行下関支店の行舎を引き継いでいる。戦後の協和銀行を経て、昭和48(1973)年に撤退した。その他の県外行として第一銀行や住友銀行があり、いずれも同じ通りに支店を構えていた。海岸の通りにひときわ目立つ赤レンガの建物は旧英国領事館で、明治39年(1906)に建てられたものだ(図4)。領事館が下関に設置されたのはその5年前で、当時の駐日英国大使アーネスト・サトウの進言による。⛩⛩卍卍⛩⛩

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