ファイナンス 2024 May 35日本語と日本人(第2回)*49) 「アイヌと古代日本」江上波夫、梅原猛、上山春平、小学館、1982,p343*50) 「近代の呪い」渡辺京二、2023、p182*51) 「近代の呪い」渡辺京二、2023、p119*52) 「近代の呪い」渡辺京二、2023、p189*53) 世界には、数の概念自体を持たない民族が存在することについて「過剰可視化社会」(与那覇潤、PHP新書、2022、p94)参照。ユーカラ(叙事詩)では、盃(さかずき)を交わすことは、自分の霊を相手に与え、相手(偉い人)の霊を自分にもらうことで、お互いの霊力を交換し合うことだったというのだ*49。日本の文芸が、貧富の違い、貴賤の違いにかかわらずに「世間」で楽しむものとして発達してきた背景には、万物が混沌の中から生まれてきたとする神話を持つ日本では、西欧的な身分差別意識が成立しなかったことがあったと考えられる。「ハエが手をする足をする」という俳句の背景には、ましてや「ハエ」ならぬ人間同士は身分が違っても同じ人間じゃないかという感覚があるのだ。江戸時代というと、士農工商の身分差別が厳しかった時代だったと思われているが、それは明治になって江戸時代を暗いものに描いたせいだ。渡辺京二氏によると、芝居の「助六」を見たら「花は桜木、人は武士」ということで侍は庶民の憧れの的だったということがわかるが、その侍(武家)の身分は、株を買うことで成り上がっていけるものだった。例えば、勝海舟のひいじいさんは越後の農民で江戸に出て成功して旗本の侍株を買った人だった。幕末の能吏には、そういった武士が多かったという*50。ちなみに、倒幕に活躍した坂本龍馬や西郷隆盛は下級武士の出身であった。渡辺氏によれば、「武士は為政者つまり治者でありますから、他身分から一応尊敬はされますけれども、それでも一般庶民は武士に対してへへっとおそれ入っていたわけではなく、特に江戸の庶民には武士何するものぞという気概がみなぎっておりました。斬り捨て御免などとんでもないことであった(中略)。侍の子が町人の悪童にいじめられた話など珍らしくもありません。(中略)これは幕末から明治初年にかけて来日した西洋人の気づいたところですが、武士の間では上級者が下級者に非常に気を遣ったものでした。これは召使いや女中に対しても同様で、西洋人の主婦は日本人の召使いを使ってみて、彼らが主人の言う通りにしないのにほとほと手を焼いています。主従関係において従者に主導権があるらしいことに、西洋人はみな奇異の念を抱いたのです。(中略)実際その社会に住んでみて、江戸時代と現代のどちらがより不平等感の強い社会であるか、必ずしも容易にはきめられないのではありますまいか。今日、(中略)会社にはいれば、それこそ上司との平等などありえないでしょう。私は新聞記者と一緒にタクシーに乗って、記者が運転手に「~までやってくれ」といった物言いをするのに、冷汗が出るような思いをしたことがあります。これは明白な身分的不平等ではありますまいか」というのだ*51。ちなみに、江戸時代には、「押し込め」というのがあった。暗愚な殿様には何の権力もなく、全部、家臣団がもっていたのである*52。最後に余談である。日本語には単数複数の区別がないという話についてである。それは、大阪弁で猛獣の檻の前に「かみます」とだけ書いてあるのと同じ合理的な話なのではなかろうか。複数が必要な時には人々、島々というように語を重ねればいいだけで、英語のように必要もないときにまで複数と単数を区別するのは面倒なこと甚だしいということである*53。それは、英語が論理的なので複数・単数の区別をするのに、日本語が論理的でないのでそうしないといったこととは次元の違う話だと思われる。次回は、文字を持たなかった日本語が、漢字を取り込むことによって書き言葉としての多彩な日本語を創り出していった話をすることとしたい。「世間」の中での日本人の平等
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