ファイナンス 2024年5月号 No.702
38/88

*43) 梅原猛は、お茶の作法は中国のものではなく、アイヌの酒の作法と似ているとする。成田得平(北海道ウタリ教会教育文化部長)は、能も神楽も歌舞*44) 西欧で「民藝」が見られるのは博物館である。「民藝」は、個人の独創性を標榜し、既存の美の観念を破壊し、奇想天外な着想を競う近年のモダン・*45) 「森鴎外 学芸の散歩者」中島国彦、岩波新書、2022、pp116−7*46) 「日本の感性が世界を変える」鈴木孝夫、新潮選書、2014、p80−86*47) 「小さきものの近代1」渡辺京二、弦書房、2022、p269−271*48) 「三宅雪嶺 異例の哲学」鷲田小彌太、言視舎、2021、p108伎もアイヌの芸能の世界と非常に近いとする(「アイヌと古代日本」江上波夫他、小学館、1982、p416)。アートとも正反対の芸術観念といえよう。た。出来上がった作品自体は単なる記録だったが、そんな中から俳句や川柳が生まれていったのだ。そのような創作活動は、芸術は個人の能力の発揮だという西欧流では考えられないものだった。利休の侘茶は、武家だけでなく堺の町衆といった町人も楽しめるものだった。江戸時代には名物を披露するような大名茶も行われ、明治の茶人には経済界の大物が多かったが、庶民の気軽なお茶会も盛んだったのだ。梅原猛氏は、そのような庶民が楽しむ文芸はアイヌの文化と共通しているとしている*43。とすればその起源は、縄文時代にも遡るということにもなろう。「世間」で普段使いをする道具をめでる「民藝」*44がはぐくまれてきたのも同様の伝統といえる。西欧の影響を受けた明治以降、連歌や連句は急速に廃れていったが、句会は今日でも行われており、新聞、雑誌には短歌や俳句の特集欄がある。森鴎外は小説を書くだけでなく歌会(「観潮楼歌会」)も催していた*45。そのように、幅広く庶民に親しまれる俳句や短歌、川柳の伝統を持つ日本は、世界で最も詩人が多い国だとされている*46。ちなみに、本居宣長の古事記研究のきっかけも嶺松院の歌会に参加したことからだった。そこで、源氏物語を講釈するうちに、儒学の道徳を離れて感動を素直に表現する「もののあはれ」が大切だと気づき、源氏物語の根源といえる古事記研究に志した。そして、古事記を読むために万葉集を研究して「詞の玉緒」を著したというのである。連歌や連句と同様に、「世間」における「主体」の掛け合いを話芸にまで仕上げたものに落語がある。熊さん八っあんとご隠居さんの掛け合いで笑いを創り上げるのだ。西欧においても、平家物語などの「語り」に相当する吟遊詩人は古くから存在したし、喜劇から生まれたコメディも世界各地に存在していたが、落語のように「掛け合い」を話芸にまで発達させたのは日本だけだった。渡辺京二氏によると、実は、歌舞伎も「世間」におけるかけ合いの延長線上の演劇だった。歌舞伎は西欧の演劇の観念からすれば、余程奇天烈な代物だという*47。まずは、単一の作者というものがいない*48。作者部屋に、立作者、二枚目、三枚目という人々がいて、立作者が新作を立案し、座元や主だった役者と相談する。その上で、立作者が主要な幕を書き、二枚目、三枚目が補助的な幕を書く。そして役者に読み聞かせるが、ここで役者からの注文に応じて改変が行われる。そうして出来上がったものは、いわば一座の合作だ。しかも、科白は要旨だけで、あとは役者が自由に述べ立てていた。役者は科白を勝手に言い変えていたのだ。それは歌舞伎が本質的に役者と観客が「掛け合い」で楽しむために書かれる芝居だったからで、観客は個々の役者の芸を役者と一緒になって楽しんだ。常連客が「成田屋!」「音羽屋!」などと「大向こう」の声をかけるのも、役者の見世場を一緒になって楽しんでいるのだという。そのような歌舞伎では、作品が通しで上演されるようなことはなく、人気を取った見世場だけを抜き出して上演されるのが一般的。客は桟敷を借り切って、飲み食いしながら、それを楽しむ。幕合いには茶屋に戻って接待を受ける。その際、衣裳を変えて楽しんだりする。芸者風にしてみたり、御殿女中のなりをしたりする。それがご婦人たちの楽しみで、歌舞伎見物は観るだけでなく、自分たちも観てもらうものだった。そんな歌舞伎には、西欧演劇なら当然行われるようなリハーサルなどない。それぞれの役者が磨いている芸を、みんなで鑑賞するのにリハーサルなど必要ないからだ。最近は行われなくなったが、酒席でのお流れ頂戴も、「世間」での交流を大切にする日本ならではの文化だった。お流れ頂戴は、中国では不衛生だというので大変いやがられ、朝鮮半島でも行われないというが、日本では酒席における大事な行事だった。実は、お流れ頂戴は茶事の懐石料理での大切な作法の一つでもある。「千鳥の杯」というのが行われるのだ。なお、結婚式で行われる三々九度の盃は、アイヌのカムイノミの行事に似ているとのことで、梅原猛氏は、そこにもアイヌの伝統の影響があるとしている。アイヌの 34 ファイナンス 2024 May

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る