*13) 「室町は今日もハードボイルド」清水克行、2023、p209―213*14) そのような日本語の感覚から生まれたのが、鳥獣戯画のような動物が人間のように行動する描写であり、絵画に自然の印象を取り入れた浮世絵といえ*15) 同様のことは、多くの民族(オーストラリアのルビビ族など)で信じられていた(「日本語が消滅する」山口仲美、幻冬舎新書、2023,p265、「日*16) 詩経「毛詩大序」:得失を正し、天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きはなし(「江戸漢詩の情景」揖斐高、岩波新書、2022,p250)*17) 山口仲美、2023,p160、236−38*18) 金谷武洋、2019、p291*19) 金谷武洋、2019、p294*20) 「日本語には敬語があって主語がない」金谷武洋、光文社新書、2010、p16*21) タイやラオスに住む山岳民族が話すムラブリでは、相手との関係性を確認するメタ・メッセージ以外には、ほとんどコミュニケーションをしない(「ム*22) 複雑な人称名詞を使うのは日本語だけの特徴ではない。ベトナム、カンボジア、タイやチベットなど、アジア各地には多数の一人称・二人称をもつ言*23) 金谷武洋、2019、p39よう(山口仲美、2023,p166−67)本語の哲学へ」長谷川三千子、ちくま新書、2010、p229−30)。ラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」伊藤雄馬、集英社インターナショナル、2023,p98−103)語文化が見られる(「人類精神史:宗教、資本主義」山田仁史、筑摩書房、2022,p215-16)。行為とされていた。そこで、それを元に戻すことを命じたのが徳政令だったともいう*13。また、小難しい話になってしまったが、要は日本語の対話の相手の「世間」には神や物も含まれているということである*14。なお、古今和歌集の仮名序の別の部分に「言霊が天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせる」*15とあるが、その原典は中国の詩経*16だとされている。しかしながら、中国ではその後、詩経などの古典が儒教的な解釈によって変質してしまい、日本でのように言霊が文学の発展に結びつくことはなかった。「掛詞」や「序詞」が生まれることはなかったのである。この点は、中国語について述べるときにご説明することとしたい。人間同士うまく生きていくための技法そのように、日本語は神や自然物、人工物とも会話をするのだが、そうはいってもやはり会話の中心は人とのものだ。そこで、日本語には「世間」を構成する人を強く意識した語彙があふれている。「世間」という閉じられた環境で人間同士がうまく生きていくための「気が利く」「気を利かす」「気が付く」「気を配る」等の相手の気持ちを推し量る言葉があふれている。日本語には、心の動きに敏感で、それを表す語彙もたくさんある。中でも多いのが、「心」の状態を表す「気落ち」「劣等感」「快感」「不安」「憎む」「さびしい」などの語彙だ。そして、「いたたまれない」「いまいましい」「うすきみわるい」「うっとうしい」「うるさい」「こわい」「つらい」「なさけない」などの不快な感情を表す形容詞の語彙もきわめて豊富だ*17。日本人は概して人前で感情をあらわにするのを避け、笑顔を絶やさず温和にふるまうが、そのような不快な語彙の多さは、むくむくと湧き上がる不快な心を抑え込んでいることを明らかにしているともいわれる*18。前回ご説明したように日本語では文の成立になくてはならない述語を最後に持ってきて断定するのを回避したりするが、それは不快な心を抑え込む技法だとも考えられよう。平安時代に人間の心理をくまなく描写した「源氏物語」が成立したことは、世界の文学史上でも驚異的なことだとされているが、それもそのように人間の心理を表わす語彙が豊富で、心を抑え込む技法を発達させていた日本語があってのことだったと言えそうである。「世間」という閉じられた環境で人間同士うまく生きていくための技法として発達してきた日本語の会話においては、「世間」の参加者みんなに気配りをする作法も行われている。特定の相手の目を見て話すことは失礼になりかねないという作法だ*19。「世間」の中で特定の相手を限定することを避けようとするのだ。これは、英語の会話では相手の目を見て話さないことが失礼になりかねないのと全く異なっている。「世間」における相互の認識から始まる日本語の会話様々な参加者で構成される「世間」とは、変幻自在な「世間」でもある。そのような「世間」の中での日本語の会話では、「いま、ここ」という場(「世間」)を大切にする*20。手紙文の冒頭に時候の挨拶を持ってくるのは誰でもやっていることだが、一般の会話も「いま、ここ」を確認する「時候のあいさつ」から始まることが多い。そのような変幻自在な「世間」に登場する主体は、自分も相手も状況によって違ったものになる*21。前回ご説明したように、子供を持つ先生に対して、状況に応じて「おかあさん」と呼びかけたり「先生」と呼びかけたりするのだ。そして、複雑な人称名詞*22や敬語を使い分ける。そのようにして相手と自己との関係をとり結び、時々刻々と新たな主体が立ちあらわれてくるのが日本語の世界なのだ*23。 30 ファイナンス 2024 May
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