ファイナンス 2024 Apr. 93昨夏、4年振りに催された朝鮮通信使行列再現(職員参加)清水山城跡豊砲台の砲座跡また、古くは白村江の戦い(663年)や文禄の役(1592年~)などの朝鮮半島進出時の前線地となり、金田城(667年)や清水山城(1591年)が築かれたほか、元寇(1274年~)では真っ先に襲来を受け、甚大な被害を受けるという悲劇も発生しています。更に、明治時代には日清戦争から太平洋戦争時にかけ、港湾・海峡防備を目的とした砲台が旧日本軍により島内31か所に設置されました。それら砲台群は莫大な予算を掛けて築造されたものの、使用されないまま「戦争の負の遺産」となり、設置されたことすら表舞台に出ることなく長らく放置さ対馬の歴史現在の対馬は、韓国人観光客が多く訪れる国際交流の盛んな地でありますが、古来よりその地理的状況から朝鮮半島との関わりは深く、小野妹子が遣隋使として数度派遣(607年~)された際に対馬を経由している点、江戸時代の12回に亘る朝鮮通信使の来島など、人々が九州と朝鮮半島を往来する際の海上交易の要衝であったことがうかがえます。れていましたが、近年は観光地として再注目され、姫神山砲台(美津島町)や豊砲台(上対馬町)など一部の遺構は道路等が整備され、静寂な森林に佇む砲座や弾薬庫を間近で観ることができ、いかに対馬が国防の重要地であったかを思いしのぶことができます。なお、島内には陸海空の自衛隊が配置されており、今なお国防の最前線であることがうかがい知れます。対馬は、ニホンミツバチのみが生息する地であり、およそ1500年前から養蜂が行われていたとの記録が残されています。特定の花を蜜源とするセイヨウミツバチと異なり、ニホンミツバチは様々な花から蜜を集めてくるため「百花蜜」として有名ですが、その中でも対馬産は大変貴重な“純ニホンミツバチ産”として知られています。山間部の道路を走ると、至るところに丸型のお堂のような独特な形状をしたものが設置されているのを見かけるのですが、それこそがニホンミツバチ用の巣箱対馬名産(お土産)対馬はその環境から海の幸・山の幸が豊富で、それら素材を生かした郷土料理や名産品が数多くあり、どれもおすすめしたい逸品なのですが、全てをご紹介するのは難しいため、今回は土産品にスポットをあててご紹介します。ア 蜂蜜対馬市
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