ファイナンス 2024年4月号 No.701
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の一つですが、実態としては、膨大な人たちが膨大な知見を積み重ねて動かしていることですよね。そのように考えると、何か政策の提言をするときの「実装上の重み」は、実際に見てみないと実感できないと思います。「帰結の重み」は研究をする中でもイメージが湧きますが、政策を実施する側でどういった条件があるのか、そういった意思決定に至るまでにどういうふうに情報が共有され、誰が意思決定に関わるのか、といった「実装の重み」を垣間見ることができました。その組織とプロセスを知ることによって実務家にとって役に立つ提言ができるようになるということは間違いないと思います。上田総務研究部長:ありがとうございます。将来的に活躍されるであろう多くのアカデミアの方々が、「それをどう実装するのか」ということを意識の片隅にでも入れながら、議論していただくということは非常に貴重なことですし、必要なことであろうと考えています。少し難しい問かもしれませんが、政府での仕事を行う行政官や、公共の利益を考える仕事をしようとしている学生たちに、経済学をどのように学んでいくことを薦められますか。楡井教授:学生さんにはあまり細かいところに拘泥せず、経済学がどういったことをやろうとしている学問で、実際にどういうところに使われていて、今後どのような課題があるのか、ということを知ることが大切だと思います。そういう意味では、教科書を一通り読まないとそもそも話がわからないのでそれも大事ですが、一番大事なことは対話から得られると思います。研究者と話してみて、自分の中に浮かんだ素朴な疑問を、恥ずかしからずにそのまま言ってくれることが一番学生さんにとっては学びに繋がっていくと思います。相手は先生かもしれませんし、友達かもしれませんが、人との対話が大事だと思っています。同じことは行政官にも当てはまるのかもしれません。特に日本の場合では、アカデミアと実務の乖離が、人材交流においても顕著です。そうなると、不信感であったり、やや敵意のようなものが生まれてしまいがちだと思います。多くの場合、誤解が多いと思っていて、例えば、経済学一筋の人や論理と数式の世界にこだわる人など、いろいろなタイプの人が研究者の中にはいますが、そういう人たちが全てではなく、常識の範囲内で話のできる人はいっぱいいます。対話をすることで、必ずしも経済学が突飛なことを言っているわけでもないし、上から目線でもない、ということがわかると思います。逆に研究者の側から言うと、例えば、行政官に対しては、「ものすごい一枚岩なのではないか」、「組織人としての振る舞いしかできないのではないか」というイメージすら持ちかねないところがあります。実際に行政官の方は話せることに制約があると思いますが、なかなか自由に個人の意見を聞くことができないということがあるので、研究者の側からしても取り付く島がないというところもあります。こういった課題は、お互いにお互いのお勉強をするよりももっと端的に率直な対話を増やすことで解決できることが多いのではないかと思います。そして、新しい事態に対応するために必要なのは、そのような基礎から演繹的に導かれた発想だと思います。頭の中の経済モデルは、研究に使うほど厳密である必要はないけれども、整合的に構築されている必要があります。様々な事態に直面するたびに、自分の頭の中の経済モデルを試してみる。友人・同僚の頭の中の経済モデルとは、どの前提が異なっているのか、吟味してみる。マクロ経済は十分複雑で、唯一の正しい加えて、経済学を学ぶ方には「仮説を立てて検証していくことや論争していくことの楽しさ」を知ってほしい、と思います。マクロ経済は前提となる知識の量は多いし、識者の見解はいくらでも見聞きすることができるので、それらを見ているだけでもなんとなくそれっぽいことは言えるようになるし、ルーチンの仕事をこなすことはできると思います。しかし知識の集積だけでは、「雨は雷神、風は風神」式の場当たり的な発想しかできない。基礎となる理論が頭の中にないままでは、どんなに見聞を広めても、新しい発想には至らないと思います。 84 ファイナンス 2024 Apr.

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