ファイナンス 2024年4月号 No.701
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楡井教授:おそらく、政府がやるべき経済政策としては、「景気循環の安定化」ではなくて、未来に向けた投資だと思います。例えば、教育などの広い意味での人的資本投資や少子化、人口動態を見据えた施策でしょうか。そのような長期を睨んだ財政政策が一番大事だと思っています。一方で、『マクロ経済動学』は景気循環の本ですので、それに関連するのは、経済安定化政策ということになります。本書で主張しているのは、景気の安定化は金融政策に任せて、財政は機動的に出ていかなくて良い、ということだと思います。『マクロ経済動学』で書いた通り、経済は何もなくても一定程度揺れ動く一方で、それを政府が逐一コントロールすることは困難であり、やるべきでもありません。まずは、生きた市場経済である以上、ある程度の振幅がマクロレベルであるということを共通認識にすることが大事だと思います。もしも、1~2%の所得の減少が生じるような不況の影響が、国民全員に均されて負担されるのであれば、大きな問題ではないと言うべきでしょう。しかし、実際に不況が大問題なのは、不況の影響は人々の間で偏って生じるため、人によっては失業に繋がってしまうためです。政府はまさにこの問題に責任を持つべきで、個々の不況に対応するというよりも、失業者が発生した時にどういうセーフティネットがあるべきなのか、という議論が求められています。そういった意味で、ある程度の振幅は受容しようというのが本書のメッセージになると思います。例えば現在、新NISAが家計に好評で金融資産投資が浸透し始めています。そのこと自体はマクロ経済からみて望ましい方向性だと思います。しかし今後、資産価格が一定の揺動を続けることは確かです。家計はそのような価格振動に対して冷静さを保つ必要がありますし、短期的な揺動に影響されないような資産計画をあらかじめ立てておくべきです。同様に政府は、多少の景気の悪化を危機だと騒ぎ立てて、緊急対策を講ずるのはやめた方が良いでしょう。景気が下振れしたときの真の社会的コスト、例えば失業が挙げられると思いますが、それを見定め、備えを前もって用意しておくべきです。例えば、失業保険や社会保険制度、財政の自動安定化装置や頑健な政府財政が備えになるのだと思います。その一方で、真の危機もあります。そもそも世界大恐慌の時にケインズがマクロ経済学を立ち上げたように、本当の危機が起きた時にどうすべきかという議論からマクロ経済学は生まれました。例えばリーマンショックやコロナパンデミックはケインズ的な危機だったと思います。伝統的な財政刺激策はそのような危機において有効です。そう考えると、いつが危機でいつがそうでないのかを見分ける必要があります。その識別手法や、危機対応を調べておくのも重要な政策研究だと思います。これについては、例えばどういったアプローチで議論ができるでしょうか。楡井教授:難しいですね。生産性から発するショックの伝播と需要不足から発するショックの伝播は異なりますので、そういった識別は可能だと思います。しかしご質問はむしろこの20年間の危機の常在化といったパーマクライシス論についてでしょう。本当に必要なのは長期の政策だと思います。危機という言葉の使い方かもしれませんが、実際に日本は長い間停滞していますし、長期的に解決されなければいけない課題は多くあります。長期的な目線で十分な調査と検討をしっかりと行い、世論の理解も得つつ社会を変革していく必要があると思います。こういった長期の政策に対応する 82 ファイナンス 2024 Apr.上田総務研究部長:まさに何が危機で何が危機でないのか、コンセンサスを形成することができれば、そこから導かれる政策というのもコンセンサスに近づいていくのではないかと思います。実際に、過去20年程度、日本の経済成長率が低迷したという状況に対して、長い危機が続いたという見方をする人もいます。そしてその危機を大型の財政出動で解決しなければならないという言説も多くあります。一方で、成長率が伸び悩んだ状態をある種の定常状態だと受け入れることができるのか、それを経済学という科学が提供できるのかということは政策担当者としては大変興味のあるテーマだと思います。

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