ファイナンス 2024年4月号 No.701
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「君は企業の設備投資に不可分性があるから総投資が自律的に変動するというが、不可分性があるのは歯ブラシだって同じこと―1.5本の歯ブラシはない―だ。歯ブラシの不可分性は総消費の変動を生むのかね。」と質問されました。この質問に対しては、設備投資には企業間の戦略的補完性があるから総投資の変動につながるのであり、歯ブラシの消費には家計間の補完性はないから変動にはつながらない、と答えることができました。しかし、このやりとりによって、内生的な変動を生み出すための経済モデルを考案するだけではなく、より抽象的に、いかなる理論的条件の下で私が主張するような内生的変動が生じるのかということを突き詰めることこそが学術的貢献になるのだ、と得心しました。そのうえで本書の主張は、「不可分性」と、マクロの平均値に追随するようなインセンティブを個人が持っているという意味での「完全な補完性」がある変数において、マクロ経済は内生的に変動する、というものです。本書ではその代表例として、収穫一定の生産関数と価格が硬直的に動く経済を仮定した下での設備投資(4章)、貨幣中立経済で個々の企業が価格付けしている時に生じる物価の内生的振動(5章)、そしてシグナル・ノイズ比が小さい短期において、トレーダーが他のトレーダーの動向を見ながら投資をするような「ケインズの美人投票」的な状況における資産価格(7章)という3つの理論的条件下での内生的振動を挙げることができました。そういう意味で、市場には平準化機能があって安定的ではあるものの、いくつかある条件を満たすところに「活断層」があるという表現は良いまとめになっていると思います。しかし、日本語で本をまとめていく過程で、「市場が大局的には安定的だが局面によっては不安定だ」という命題自体は、私が学生の頃に読んだ岩井克人先生や宇沢弘文先生の不均衡動学理論が言おうとしていることでもあると気づきました。先人たちの考えを学び、そのアイデアをより現代的なマクロ理論の中で表現することに夢中になっているうちに、その発想がそもそもどこから来たのかは忘れてしまっていたのです。そういった気づきもこの本を書いて良かったことでした。楡井教授:日本には、アカデミックな経済学はありますが、プラクティカルな経済学が少ないと感じます。産業界やジャーナリズムの経済調査、政府の政策立案において用いられる調査研究手法と、国際的な経済論壇が前提とする手法との間に、断絶があります。例外は日銀くらいではないでしょうか。日本の経済論壇にも、折々の世界的な流行り言葉はどんどん輸入されてくるけれど、どういう発想でそれらの言葉が生まれているのかを知るための根っこがついてきていない。言葉だけが輸入されて流通していると感じます。政府においては、旧経済企画庁が統廃合されたのちの官庁エコノミスト不足が深刻で、統計を作る人力も知力も圧倒的に不足していると思います。その原因ははっきりとは分かりませんが、国際的に学ばれている経済学に対する、曖昧だが堅固な不信感が日本にはあり、経済学や統計のあり方を根本から理解できるようになったところで得るものは大してない、と思われている節があります。これはOECD諸国の中でも日本に顕著なことのように、個人的には感じます。というのは、日本の外では経済学はもう少し尊重されているからです。 80 ファイナンス 2024 Apr.楡井教授は経済学がもたらす広い意味での政策インプリケーションにご関心がおありということでした。「経済学」が、政策の立案において果たすべき役割について、どのようにお考えでしょうか。日本の経済学研究において、十分であること、不足していることは何でしょうか。確かに、大まかに言えば、個々の経済論文がそのまま政策に役立つことはないので、実務家がアカデミックな経済学を逐一フォローする必要はないと思います。しかし、アカデミックな根っこの理解が進まず、経済学が政策立案の蚊帳の外に置かれているという日本の現状は、政策決定に不利益をもたらしているよう3  望ましい政策を考える上での経済学の役割上田総務研究部長:

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