ファイナンス 2024年4月号 No.701
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図4 アクト通り ファイナンス 2024 Apr. 75(出所)令和6年3月20日に筆者撮影プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)町遠鉄百貨店東側前駅前通り」に移った。平成9年(1997)には西武百貨店が閉店した。郊外分散は2000年代に入り加速する。平成12年(2000)、イトーヨーカドーを核店舗に浜松プラザが開業した。その後、イオンモール浜松志し都と呂ろおよび浜松市野、西友系のサンストリート浜北、ユニー系のプレ葉ウォーク浜北のオープンが続く。平成21年(2009)、ららぽーと磐田がオープンした。遠州豊田PAに隣接しており、ETC専用のスマートICを介して出入りできる。郊外分散と同じペースで中心商業のシェア低下が進んだ。鍛冶町の西武跡地には市の主導で再開発ビル「ザザシティ浜松」が平成12年(2000)にオープンしたが、その翌年、長年にわたり地域一番店だった松菱が経営破たんに至る。平成19年(2007)には駅前のイトーヨーカドーも撤退した。早すぎた挑戦のようだが、それから20年以上経った現在、少しずつ当初の目論見に近づいているように思われる。鍛冶町通りの歩道が拡げられ、外周内に歩行者優先の道路が増えた。車社会の進展で道路網が発車社会化が進めた駅前の「歩く街」化商業機能が郊外分散した典型的な車社会の街だが、一方で、歩行者中心のまちづくりコンセプト、「ウォーカブルシティ」の取り組みにおける先進地でもある。例えば、昭和56年(1981)に検討を始め、昭和60年(1985)に策定した「ゾーンシステム」がある。これはまず広小路~旧東海道(ゆりの木通り)~連尺町の広幅道路を、通過交通を迂回させる外周道路に位置づけ、その上で外周内を歩行者天国、あるいは歩行者に加えバス等の公共交通機関のみ通行可の「トランジットモール」とする当時にしては画期的な交通思想だった。平成11年(1999)には鍛冶町通りをトランジットモールとする社会実験が全国にさきがけて実施された。ただ、外からの来街者には高評価だったが、地域住民や地元商業者には消極的な意見が多かった。マイカー客の離反や荷捌きの困難が懸念された。達した分、市街地に入る車を制限するのが容易になった。車社会が進むほどウォーカブルシティが現実に近づくということだ。もう1つ注目したいのは、旧市街の東側に隣接し、アクトシティの北側に拡がる「東地区」だ。土地区画整理事業が実施され、歩行者優先の街が新しく造成された。一帯は広幅車道で囲まれ、その内側をいずれも幅員40mのアクト通りと学園通りが南北に、公通りが東西に貫く。それぞれ車道より歩道幅が広い公園状の街路である。各区画が大きく、官公庁エリアと大学エリアが配置されている。ゾーンシステムが旧市街を歩く街に再編する取り組みとすれば、東地区再開発は白地に歩く街を作る取り組みと例えられる。郊外都市を都心に逆輸入したような景観だ。中心市街地の居住人口は令和4年までの10年で15%増となった。中高層マンションが増えたことが主な要因だ。浜松市が不動産業者に聞いたところでは、新幹線停車駅から徒歩10分という点が魅力的だそうだ。中心市街地活性化基本計画の活性化指標「小売販売額」は平成27年(2015)からなくなった。美術館やコンサートホールなどで生活を楽しみ、創業を含め働きやすい街であることをターゲットに据えた、新しい形の中心市街地のイメージが、令和2年度以降の活性化目標「歩いて楽しい魅力的なコージープレイス」、「誰もが主役になれるチャレンジ溢れるアグレッシブタウン」に表れている。

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