旧SAGO田町新道二俣街道有楽街肴町連尺町馬込川伝馬町遠鉄百貨店旅籠町堀留運河跡 浜松城跡大手門跡神明町35跡旧浜信資産跡西遠跡西遠↓遠州跡JUSCO跡旧愛知MUFJ西武跡ザザシティ芳川↓浜松跡旧遠州静岡資産跡棒屋→丸井跡棒屋跡旧安田みずほ松菱跡長崎屋跡第一↓DKB跡旧ニチイ旧ヨーカドー浜松駅アクトシティ合同庁舎勧銀跡旭町駅(新浜松駅)街道筋廃線跡馬込駅堀跡(出所)令和6年3月20日に筆者撮影図1 市街図(出所)筆者作成ファイナンス 2024 Apr. 73図2 旧遠州銀行本店(静岡銀行浜松営業部)した西遠商会である。明治18年(1885)、商事部門を廃止し西遠銀行に転換した。大正9年(1920)、資産銀行と西遠銀行が合併し遠州銀行が発足。西遠銀行の本店が遠州銀行の本店となった。静岡三十五銀行も伝馬町にあった。県内の国立銀行で最も早く創業したのが浜松の第二十八国立銀行だったが、明治22年(1889)、静岡発の第三十五国立銀行に吸収される。営業満期後に三十五銀行となった。静岡銀行発足後、旧店舗は昭和27年(1952)に浜松信用組合が買い取って本店にした。現在は浜松磐田信用金庫の伝馬町支店となっている。現在、伝馬町の交差点に東京三菱UFJ銀行がある。起源を辿ると、明治29年(1896)設立の浜松信用銀行にさかのぼる。豊国銀行、昭和銀行、愛知銀行の順に営業譲渡され、昭和16年(1941)に東海銀行となった。現在地に移転したのは大正14年(1925)だ。なお、戦前からあった県外行として、昭和2年(1927)に進出した日本勧業銀行がある。鍛冶町のみずほ銀行は明治22年(1889)に同地で開業した浜松委託株式会社にさかのぼる。商社や倉庫、金融業を兼ねた業態で、大正11年(1922)に金融部が独立して浜松商業銀行となった。大正13年(1924)に安田銀行が営業を取得し同行の浜松支店となった。戦後の富士銀行を経て現在に至る。浜松駅は明治21年(1888)9月に開業した。当時の駅は現在地の北側にあり、鍛治町や広小路が駅前広場に面していた。明治24年(1891)、東海道の田町と駅を結ぶアクセス道「田町新道」ができた。現在の田町中央通りで、この道路の開設が明治末期に神明町から田町に最高宅地の場所が移った要因の1つと考えられる。田町には大正6年(1917)に芳川銀行の本かつて駅前だった鍛か冶じ町まち最高地価地点は明治39年(1906)の元もと城しろ町ちょうを経て明治44年(1911)には神明町の隣の田た町まちとなった。さらに21年後の昭和7年(1932)は鍛冶町が最高地価だった。鍛冶町は当時の駅前といえる。
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