ファイナンス 2024年4月号 No.701
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ファイナンス 2024 Apr. 51日本語と日本人(第1回−総論)*31) 金谷武洋、2010、pp178−181。英語を「公用語」化する会社の隠れた目的ともいわれている(「漢字とは何か」岡田英弘、藤原書店、2021、p292)*32) 鈴木孝夫、2014、p54−57、p65*33) 金谷武洋、2010、p91*34) 金谷武洋、2010、p187*35) 「世にも美しい日本語入門」安野光雅、藤原正彦、ちくまプリマ―新書、2006、p30年度から、小学校での英語の授業が必修となっている。ただ、この点に関しては、私は小学校の段階での英語教育はほどほどにして、新たに打ち出された論理国語、即ち相手の議論にしっかりと反論できる国語力の教育を重視すべきだと考えている。その上で、中学校からは是非とも大きな声で話す英語を教えてもらいたいと思う。日本語と同じ調子で低い小さな声でしか話さないのでは、どんなに流ちょうな英語を習得しても聴いてもらえないからである。発音などは二の次、文法なども二の次だと思う。そのように新たな形での国語教育や英語教育が必要だと考えるが、そういった中でも、忘れてはならないのが本来の日本語の教育である。主語を使わない日本語の教育である。英語が上達すると、性格が積極的になる*31が、日本社会で受け入れられにくくなるといわれている*32。最近、日本語がちゃんと話せない人が多くなって日本人の温和な社会が失われつつあるようにも思われる。敬語をしっかりと使えない人が多くなっている。最近の敬語は、「礼語」になってきているともいわれる*33。そんな中で、日本語の持つ優れた共感能力が生かされなくなって、ネット空間におけるセクハラ攻撃、パワハラ攻撃、言葉狩りなどが行われるようになっている。そして、一人一人がバラバラになり孤独になっているのではなかろうか*34。外国人も、日本語が上達すると礼儀正しくなり性格が温和になるという。人々の性格が温和であることは、日本社会を成り立たせるうえで大切な要素だ。英語を使いこなせるようになったとしても、日本語がちゃんと喋れなくなって日本社会の良さが失われてしまったのでは元も子もない。日本人が幸せになるためには、本来の日本語教育をしっかりとすることも大事なのだ。それには、古典の教育が大切だ。古典には、「主語」を使わない日本語の、日本社会のエッセンスが詰まっている。そんな中で気になるのは、最近、義務教育における国語の時間が短くなっているという話だ。小学校4年生の国語の時間は、大正時代に14時間、昭和15年に12時間だったのが、2006年には4-5時間と大幅に短くなっているという*35。英語の授業が必修とされた影響と思われるが、日本人が、日本人の良さを生かしつつ国際化していくために、それでいいのか疑問なしとしない。

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