*16) 「会話の科学 え?」ニック・エンフィールド、文芸春秋、2023*17) 「万物の黎明」デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ、光文社、2023、p4−31、587−88*18) 現在のことだと思って聞いていると、最後に「だったのよ」といわれて、なんだ過去の話だったのかということになるのが日本語である(山口仲美、*19) 山口仲美、2023,p132*20) 山口仲美、2023,p194−96*21) 「2035年の中国」宮本雄二、新潮新書、2023、p342023,p191−94)の言語学教授ニック・エンフィールドの「会話の科学 え?」という本の中に出てくる話で*16、欧米の言語での他の発言者への反応速度の平均は207ミリ秒なのに対して、日本語では7ミリ秒と圧倒的に短いのだという。それは、日本語の話者が、周りの人が何を言うのかを、つまりは「世間」を、まずは認識しようとするからであろう。他の動物と人間の違いが言語の使用だといわれる。言葉の使用によって人間社会、文明の形成が可能になり、共存・共栄が可能になったというのだ。とすれば、周りの人が何を言うのかをまず認識し、相手との相対的な関係を臨機応変に取り結ぶ日本語は、多くの言語のうちでも最も進化した形態のものだということが出来よう。そこからは、ホッブスの「万人の万人に対する闘争」を克服するための社会契約から国家が創り出された。そこから文明の進歩が始まったという説は違うのではないかという疑問も出てくる。実は、人類の古代史を解明していくと、同様の疑問が出てくるのだという。それは、英国の人類学者デヴィッド・グレーバーと考古学者デヴィッド・ウェングロウが唱えている説で、「万人の万人に対する闘争」ではなく平等原理を尊重する社会が、人類の歴史の中にはいくつも存在し、繰り返し登場してきた例があるというのである*17。世界の中で優位性を失っている日本語ただ、日本語が多くの言語のうちで最も進化した形態のものだと言えるとしても、その日本語が、今日、世界では全く優位性を失っている。他の人より先にしゃべることをためらう文化を持っているからだ。なぜ、他の人より先にしゃべることをためらうかといえば、日本人がまずは会議などの雰囲気、即ち「世間」を見極めようとするからだ。日本人は、自分の利害に関することでも、まずは他の会議参加者の発言を聞いて、それを尊重しつつ発言をしようとする。そして、いざ発言となっても相対敬語を使う感覚での発言をする。間違っても、相手と正面から直接議論を戦わせたりはしない。自らの発言に自信があっても、自分が必ずしも正しくないかもしれないという謙虚さを示しながら発言をする。日本で下手に特定の相手を正面から批判したりすると感情的な反発を招き、逆恨みをされて、その後どんなしっぺ返しをされるかもしれないからだ。しかも、最後に断定するのを回避することも多い。日本語は、文の成立になくてはならない述語を最後に持ってくるという構造を持っているので、聞き手は最後まで聞いていないと発言者が何を言いたいのかよく分からないのが日本語なのである*18。英語ではまず結論を述べ、その後にそれを裏付ける理由や説明を加えるが、日本語では時間の経過に従ってものごとを述べるのが一般的だ*19。それは、その後の相手の反応によって、主張のトーンを変えられるようにしているものともいえる。そのような日本人の発言は、日本人同士なら「ゆかしさ」や「思いやり」になるが、国際的には全く通用しない*20。明確に反論すべきことについて、最後に「と思います」とか、「ではないでしょうか」などと言って断定を避けたのでは明確な反論にならない。それが相手に自分の意見を認めたと誤解されると、後から反論しても時宜を外れた議論として受け入れられず、挙句の果てには「ごまかしと」と受け取られたりもする。かつては、そうなると、「黙って刀を抜いてバッサリ切る」という行動に出たので恐れられたりもしたという。それは、中国大使をされていた宮本雄二氏が、「2035年の中国」という本の中に書かれていることだが*21、日本の国力が落ちてきたこの頃ではそんなことなどできなくなっている。日本人は、言い訳や弁解を潔しとせず、沈黙を重んじる文化だなどと言っていては、単に国益を守れないということになるだけだ。空気を読む、沈黙は金、出るは打たれるなどと言っていても、そんなことは世界では通用しないということだ。ここで、もう一つ、日本の会議で出される結論が間 48 ファイナンス 2024 Apr.
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