*1) 中国春秋時代(紀元前5世紀)の兵法書「孫子」の一節*2) 日本語は、述語が中心となる述語制言語とされる。世界の言語の中で、述語制言語は44%。英語のような主語性の言語は39%(「日本語が消滅する」*3) 「『源氏物語』の現実感−物語社会という視座」安藤徹、学士会報、No.965,2024−Ⅱ、p39山口仲美、幻冬舎、2023,p187−91)。敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず若いころ、人事院の留学制度で米国のスタンフォード・ビジネス・スクールに留学した。当時は、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンなどと言われていた時代で、日本のビジネスについて学びたいという米国人学生が多かった。南カリフォルニア大学のビル・オオウチという教授が日本流の経営手法についての“Theory Z”という本を出してベスト・セラーになるといった状況だったのだ。そんな中で、特に熱心だったアメリカ人の学生と一緒に日本の経営手法を研究するサークルを創設した。共同創設者になった学生は、その後全米商工会議所の副会長になった。活動は、日米両国で活躍している企業の実際の経営手法について研究しようということで、実際に活躍している経営者に来てもらってみんなで議論したりするものだった。例えば、ソニーの盛田会長(当時)を呼んできた。そんな活動が評価されて、卒業式ではクラスに最も貢献した学生として表彰された。そのような私にとって、当時から日本人が、国際会議で3S(スリープ、スマイル、サイレンス)といわれていることは大きな謎だった。かつては国際会議を成功させる秘訣は、いかにインド人を黙らせ、いかに日本人にしゃべらせるかだといわれていた。なぜかといえば、日本人は他の人より先にしゃべることをためらう文化を持っているからだというのだった。最近は、GDP規模で中国やドイツに抜かれてインドに抜かれるのも時間の問題、一人当たり国民所得で韓国や台湾にも抜かれるという状況で、国際会議で日本人にしゃべらせようなどとは言われなくなっているようだ。それは、これからは日本人も自分から発言していかなければ自国の利益を守ることができなくなっていることを意味している。民間企業のビジネスにおいても同じで、言うべきことを言うべきタイミングで言わないと、諸外国の企業に太刀打ちできなくなっているのだ。そんな中で日本の現状がどうかというと、英語教育の重要性が言われるようになっているが、学校で教えてくれる英語は多くの人にとってあまり役に立っていない。学校では英語が上手になることを教えてくれるが、他の人よりも先にしゃべることを教えてくれないからだ。そもそも、日本人は、自分たちがそのような文化にどっぷりつかっているという自覚がない。とすれば、そのような文化の下にある日本語とはどんな言語なのかを知ることが必要だと思われる。「敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」*1というが、まずは「己を知る」ことが必要というわけだ。本稿は、そんな問題意識からのものである。論点が多岐にわたるため、相当回数に分けての連載となるが、まずは総論として日本語では主語が使われないということをご説明することとしたい*2。主語を使わない日本語現在放映中のNHKドラマの主人公、紫式部が書いた源氏物語にはおよそ主語は登場しない。当時の人々には敬語の使い方によって、だれが話しているかは一目瞭然だったからだ。「光る源氏」(帚木巻)というのも「光る君」(桐壺巻)というのも主人公をめぐる「世間」での評判・噂を凝縮したあだ名だったのであり*3、主人公やその相手方が名乗ったり呼んだりしたものではなかった。なお、最初に申し上げておきたい 44 ファイナンス 2024 Apr.国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇日本語と日本人(第1回-総論)―主語を使わない日本語―
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