西武閉店丸井閉店令和平成緑道(蛇松線跡)(出所)国税庁「路線価図」から筆者作成三島駅サンテラス駿東(ユニー)1981~2008サントムーン柿田川1997~図4 最高路線価の推移140図3 広域図(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成三島市(右軸)万円/㎡静岡市(左軸)浜松市(左軸)沼津市(右軸)コロナ禍熱海市(右軸)万円/㎡ららぽーと沼津2019~イシバシプラザ(イトーヨーカドー)1978~2021図1の範囲店した。西武百貨店には初めての地方支店だった。開店時のキャッチコピー「沼津で東京のお買物」が人口に膾炙した。これで駅前が勢いづき、昭和38年(1963)に十字屋が仲見世に移転。昭和41年(1966)には丸井が進出し、長崎屋も上土町から駅前に移った。昭和42年(1967)、西武の隣に富士急百貨店が開店する。本館1階が富士急バスのターミナルになっていた。翌年は仲見世に緑屋とほてい屋(ユニーの前身)が開店。昭和45年(1970)、地元商業者が建てた共同ビル「沼津商連会館ビル」に総合スーパーのニチイが出店した。その翌年には西武百貨店が新館を増築する。駅前の発展の一方、戦後、街を貫く形に付け替えられ、拡幅された旧国道1号を通過する車が増え人流が分断されたこともあり国道南側が衰退。松菱が撤退したのは昭和46年(1971)だった。路線価にも顕著な商業の空洞化開店ラッシュを沸かせた当時の大型店は現在残っていない。要因の1つが車社会化だ。昭和44年(1969)3月東名高速道路の沼津ICが開通。その翌年、国道1号沼津バイパスが部分開通し、昭和55(1980)年までに全面開通した。前後して郊外大型店が出店を始めた。昭和53年(1978)、旧製紙工場の跡地にイトーヨーカドーを核店舗とするイシバシプラザが開館。駐車場を備えた郊外店だが、沼津駅北口に近接した駅前立地でもあった。昭和56年(1981)、沼津バイパス沿いの紡績工場跡にユニーを核店舗とするサンテラス駿東が開店した(現在はサントムーンアネックス)。平成6年(1994)に十字屋、翌年ニチイが閉店。この頃から中心街の人通りが少なくなってきた。平成9年(1997)、サンテラス駿東の隣地にサントムーン柿田川が開店。平成12年(2000)に御殿場プレミアム・アウトレットがオープン。沼津駅から30km離れているが高速道路で30分程のアクセスだけに影響は大きかった。駅前では平成14年(2002)に長崎屋、その2年後には丸井が撤退した。そして平成25年(2013)、西武百貨店が撤退した。空洞化は最高路線価の推移からもうかがえる(図4)。沼津市の最高路線価は低下傾向に歯止めがかからない。平成20年前後に下げ止まったようにみえたが、西武撤退に伴い一段と下落した。静岡、浜松に次ぐ県内第3位が定位置だった沼津だが、令和4年、近年の上昇ぶりが目立つ熱海に抜かれ、令和5年には三島に並ばれた。三島については、公示価格の商業地では平成30年(2018)に既に追い抜かれている。令和元年(2019)10月、ららぽーと沼津がオープンした。その2年後には沼津駅北口 66 ファイナンス 2024 Mar.12010080604020-2015020259080706050403020103012345
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