新仲見世商店街上土町六軒町上本町狩野川船着場跡仲町下本町出口町 (出所)筆者作成(出所)以下、写真はすべて令和6年2月12日に筆者撮影図2 アーケード名店街の近影図1 市街図ファイナンス 2024 Mar. 65ユニー跡松菱跡スルガ本店魚町魚市場跡旧ニチイ西武跡旧富士急旧西武丸井跡十字屋跡緑屋跡長崎屋跡沼津跡静岡三十五跡静岡中央伊豆跡御成橋永代橋志多町沼津駅街道筋市電跡堀跡「静岡銀行」(第2次)となった。第1~2次とも現存する静岡銀行とは同名の別銀行である。昭和12年(1937)、沼津銀行の後継たる静岡銀行と、沼津第五十四国立銀行を承継した三十五銀行が合併する。行名も合体されて静岡三十五銀行となった。さらに戦時中の昭和18年(1943)、県西部の有力行だった遠州銀行と合併して静岡銀行と(第3次)、これが現在に連なる静岡銀行である。同じ年、三島市に本店を構え伊豆地方に支店網を築いてきた伊豆銀行を買収する。沼津駅の開駅は明治22年(1889)2月。小田原の手前の国府津駅から静岡駅まで延伸された東海道本線の途中駅だった。当時の東海道本線は箱根の急こう配を避け、外輪山を北に迂回するルートをとっていた。現在の御殿場線が当時の本線だった。東海道五十三次でいえば三島宿がスキップされたことになる。現在地の三島駅が開業したのは丹那トンネルが開通し東海道本線が現ルートに切り替わった昭和9年(1934)である。沼津駅は箱根越えに備える補助機関車の連結等で全列車が停車する主要駅だった。ちなみに沼津駅開業の前年に当地には既に鉄道が開通していた。沼津駅と狩野川河口を結ぶ「蛇じゃ松まつ線」である。本線の整備にあたって港から資材を搬入するための路線だった(図3)。後に廃線となり現在は緑道になっている。また沼津駅前には明治39年(1906)に三島駅をもう一方の端とする駿豆電気鉄道の路面電車線が乗り入れている。会社は現在の伊豆箱根鉄道で、大正12年(1923)に西武グループの傘下となった。その後、以前は郊外の扱いだった駅前に一等地の座を譲ることになる。昭和44年(1969)の最高路線価は「大手町西武百貨店西通り」だった。西武百貨店は昭和32年(1957)、伊豆箱根鉄道が所有する店舗に出防火建築帯だったアーケード名店街昭和32年(1957)の最高路線価地点はアーケード名店街にある松菱百貨店の前だった。戦前浜松に本店を構えた松菱の支店第1号で昭和26年(1951)に開店した。沼津初の百貨店で4階建だった。アーケード名店街は昭和28年(1953)に松菱の向かい側(西側)、その翌年に松菱側(東側)が完成した。長屋状に連なった建築物で、本来の趣旨は延焼防止のための「防火建築帯」で街の防火壁のようなものだ。沼津のアーケード名店街は防火建築帯を共同店舗に仕立てた施設である。戦後復興の一環で類似施設が全国各地に建てられた。今でいう都市再開発の原型ともいえる。この頃の商業の中心は旧国道1号線の南側で、例えば昭和31年(1956)、今の新仲見世に十字屋、昭和38年(1963)には長崎屋が上土町に出店している。
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