飲酒して運転することは飲酒しない場合に比べ殺傷リスクを7倍に引き上げると仮定する。その上で、「普通のレストランまで1kmをギリギリ合法な量を飲酒して運転することは事故の主な原因である」、「美味しいレストランまで7kmを飲酒しないで運転することは事故の主な原因ではない」という同量の殺傷リスクに係る二つの判断を引き合いに、個々には常識的な判断を集めると互いに整合しないことがよく起こるとした。この問題提起は、法律上の因果関係に関して精緻な理論を構築することには困難が伴うことを暗示する。実は刑法典には「行為と結果の間には因果関係が必要」とは書いていないが、罪刑法定主義から導かれる要請として、行為(殺人罪なら殺人行為)と結果(殺人罪なら殺人結果)の間には因果関係が当然必要であり、結果との間に因果関係がない行為に刑罰を科してはならないとされる。評者の学生当時、刑法の因果関係論の学説は、お馴染みの「条件説」と、条件説をより厳しくした「相当因果関係説」(条件説に加え、行為から結果が発生することが経験則等に照らして相当であることが必要)とが拮抗していた。久しぶりに刑法を勉強したところ、刑法の因果関係論は決着どころか発散していることに驚く。条件説、相当因果関係説に産出説の色濃い「客観的帰属論」(行為が危険を創出しその危険が結果を実現することが必要)が加わり、さらにそれらの微修正された多様な学説が乱立する。罪刑法定主義の趣旨貫徹のための因果関係論が余りに複雑になっては却って罪刑法定主義に相関「気温」と「アイス消費」、「気温」と「エアコン消費」には前者を原因、後者を結果とする因果関係がある一方、「アイス消費」と「エアコン消費」には一方を原因、他方を結果とする因果関係はなく「気温」を共通原因とする相関があるだけ、と言われる。「因果関係がある」とは二つの事柄に原因と結果の関係があること、また「相関がある」とは二つの事柄に何らかの関係があること。因果関係は「何らかの関係」の一つなので、言葉の厳密な使用としては、因果関係は相関の一種ということになる。罪刑法定主義行為を犯罪として処罰するには、立法府が制定す反するのではないか、一法学士として気懸りだ。刑法以外の動きとして、独禁法の世界では、因果関係を独禁法違反要件論の体系に位置づける議論は長らくなかった由。その理由の一つとして、因果関係を言語化すると独禁法違反を立証するのが面倒になるからと心配する向きもあるようだ。刑法の議論を見て心配するのなら、気持ちはわからないでもない。(確率と因果関係)著者によれば、差異形成説の現代的展開として、自然言語の特性に依存しない因果関係の研究が統計・計算科学者主導で行われている。「確率上昇説」は「Xの発生がXが発生しない場合と比べてYの発生確率を上昇させるなら、XはYの原因である」と見る。また「介入主義」は「(特定の確率で)Yを変化させるようなXへの可能な外部からの操作(介入)が存在する時、かつその時に限り、XはYの原因である」と見る。これらの現代的展開の今後が注目されるが、純粋哲学者からは「確率は因果関係に基づく概念なので因果関係を確率に基づかせるのは矛盾ではないか」との声もある。確率自体にしても、ケインズ以来今日まで様々な概念が提唱されている。本書の解説者は、因果関係について「逸脱基底的・疑問依存的理論」を提唱する。即ち、因果関係は通常から逸脱して「なぜ?」の問いが発せられる場面に現れるのであって、問いがなければ因果関係はないのだと。私達はこの因果関係という果てしない空を行く。る法令で犯罪行為の内容・刑罰を事前かつ明確に規定しなければならないとする原則を罪刑法定主義という。日本では明治時代に制度的に確立した。社会通念上「物」ではない電気の窃盗が「物」を対象とする窃盗罪に該当するとの大審院(現在の最高裁判所に相当)判決については罪刑法定主義の観点から疑義が寄せられた。その後刑法改正で電気も窃盗罪の対象とすると明文化して決着している。因みに、電気の輸入がない日本の関税率表に電気は掲載されない一方、陸続きの欧州諸国やシンガポールでは電気も輸入されるので関税率表に電気が掲載される。これらの国では社会通念上も電気は「物」なのかもしれない。所変われば(物)品変わる。ファイナンス 2024 Mar. 51
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