ファイナンス 2024年3月号 No.700
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(1)貨幣に関する「よもやま話」1.はじめに貨幣とは、不思議な存在である。例えば、財布に入っている「一万円札」は、それ自体食べることもできないし、暖を取ることもできない(紙幣を燃やすのは犯罪です!)。偽造防止技術など現代の匠の技術の粋が凝らされ、その意匠の美術的価値は高いと思うが、残念ながら、貨幣そのものに貨幣が表象している価値はない。それにもかかわらず、貨幣を利用する人々の間では、「一万円札」に「1万円」の価値があるものとして流通・機能している。経済学における通説的な理解では、古くはアリストテレスが『政治学』で記し、アダム・スミスが『国富論』で説いたとおり、物々交換における不便、つまり「欲望の二重の一致」の問題を避けるために、貨幣は社会契約として発明されたものとされている。しかし、文化人類学・考古学の研究によれば、人類の歴史上、極めて例外的な場合を除いて、物々交換が行われていた証拠に乏しく、負債を記録した「信用」をベースとした取引がまず発生し、その後、「信用」が貝殻・石などの物理的「媒体」に表象され、決済手段として機能するようになったとも言われている。本稿の目的は、貨幣の起源を探ることではないので、このあたりで止めておくが、経済取引と表裏一体の関係にある決済は貨幣により支えられており、その「媒体」は原初は貝殻・石などから始まったが、時代が下るにつれて、現代では金属・紙が用いられていることを押さえておこう。このように見ていけば、貨幣の「媒体」が金属・紙である論理的な必然性はなく、社会・経済のデジタル化が進む中において、その「媒体」をデータとすべきではないかといった議論が出てくることは自然な流れとも考えられる。貨幣の「媒体」だけでなく、「発行主体」の歴史も興味深い。中央銀行による「現金通貨」の発行と民間銀行による「預金通貨」の発行というマネーの供給システムの歴史は、たかだか200年程度を数えるにすぎない。それまでは、民間主体が発行した貨幣が流通していたこともあれば、海外で発行された貨幣が時代を超えて流通していたこともあった。ハイエクは、『貨幣発行自由化論』において、貨幣の発行は政府・中央銀行ではなく民間が担うべき、とも論じている。2019年のリブラ構想は、こうした問を再度世界に投げかけたものとも捉えることができるだろう。貨幣に関する「よもやま話」はこの程度にしておいて、理財局国庫課では、私を含め総勢8人の「CBDCチーム」が、CBDC(中央銀行デジタル通貨)の調査研究・検討に取り組んでいる。CBDCとは、さしあたり一万円札や五百円玉といった「現金」をデジタルの形態で利用できるもの、とイメージしてもらえばいいだろう。我が国においてCBDCを導入するかどうかについては、国民的議論を経て判断されるべきものである。ただ、実際の導入に当たっては各種の課題への対応や準備に時間を要することが想定されるため、仮にCBDCを導入すると判断した場合に遅滞なく発行することができるよう、各種の調査研究・検討を進めていく必要がある。「骨太方針2023」においても、政府・日本銀行として、CBDCの制度設計の大枠の整理、つまり、制度設計上の主要論点に関する基本的な考え方や考えられる選択肢を明らかにしていくこととされている。これに向けて、理財局では、2023年4月から「CBDCに関する有識者会議」を開催し、同年12月に取りまとめを行ったところである。本稿では、本取りまとめについて概説するとともに、今後の取組を説明することとしたい。 36 ファイナンス 2024 Mar.財務省理財局国庫課デジタル通貨企画官 谷 雅彰(2)理財局国庫課における検討中央銀行デジタル通貨(CBDC)の制度設計の大枠の整理に向けて

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