ファイナンス 2024年2月号 No.699
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ファイナンス 2024 Feb. 91 大樹寺 位■堂大樹寺 山門町のシンボルとなっています。また、天守閣を有する岡崎公園は、日本さくら名所100選に選定されており、訪れた人を「グレート家康公『葵』武将隊」が出迎えます。また、松平8代と家康公はじめ歴代将軍14代家茂公までの等身大の位牌が安置されており、家康公の位牌の高さは臨終時の身長と同じ159センチになっています。これは、徳川家三代将軍家光公が、家康公17回忌を機に大樹寺を整備する際、「祖父家康公生誕の地を望めるように」と山門と総門(現在は大樹寺小学校南大樹寺大樹寺は、徳川家の先祖である松平家と徳川将軍家の菩提寺です。桶狭間の戦いに今川軍が敗れた際、若き家康公が代々の墓前で自害を図り、この寺の住職に諭され、再起を期して立ち上がったといわれています。この時住職からいただいた言葉が「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」です。「穢れた現世を逃れ、清らかな仏の国(あの世)に生まれ変わることを望む」という、仏教の教えを説いたものです。家康公は、「穢土」を「戦国の世」、「浄土」を「平和の世」とし、平和な世をつくるため、「厭離穢土、欣求浄土」を旗印に用いました。ビスタライン大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロの直線はビスタラインと呼ばれています。ビスタライン上には高い建物が全くありません。門)を通して岡崎城が見えるように配置したことに由来しています。時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望は約380年間守られています。御影石というと、墓石を連想するかもしれませんが、建材にも多く使われています。本来、御影石は石材としての名称であり、岩石としての正式名は花崗岩(かこうがん)です。ちなみに、岡崎市には、「花崗町」と書いて「みかげちょう」と読む町名もあります。大豆のみで造った大豆麹を塩と水と一緒に木桶に仕込み、重石となる玉石を山のように積み上げ、二夏二冬以上の長期間熟成させるという伝統的な製法が受け継がれています。他の豆味噌より仕込み水が少ないことから、多くの重石が必要とされます。石積み作業は、現在も職人たちが手作業で行っていますが、熟成中に重石が崩れる御影石岡崎市の地場産業に石細工があります。岡崎城築城の際に石工を集め、地元産の御影石(みかげいし)を使用したのが始まりといわれています。八丁味■八丁味噌は江戸時代から全国に知られていた豆味噌で、その名は、岡崎城から西に八丁(約870m)の距離にある旧八丁村(現八丁町)で製造されていることに由来します。岡崎市

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