ファイナンス 2024年2月号 No.699
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徳川家康公銅像岡崎城岡崎税務署 総務課長渡邉 益代3キロ北の岡崎城近くに創設されました。岡崎税務署は、明治29年に、現在の所在地より約管轄区域は、岡崎市及び額田郡幸田町の1市1町であり、管内面積は444.02km2、管内人口は約42.5万人です。月26日に岡崎市で産声を上げました。決して有力とはいえなかった松平家の長男として生はじめに岡崎税務署が所在する岡崎市は、愛知県の中央部に位置し、東海道宿場町や城下町として古くから西三河地方の中心都市であり、天下泰平の世を築いた徳川家康公の生誕の地として知られています。徳川家康公歴史的大偉人といえる徳川家康公は、天文11年12まれ、幼少期は人質として過ごし、幾多の戦いを経て、江戸という泰平の時代の礎を築きました。岡崎市で始まった家康公のその数奇な人生は、令和5年NHK大河ドラマ「どうする家康」をはじめとして、数々のドラマに取り上げられています。世界中で評価の高い日本人の国民性の原型は、戦国時代から江戸時代にかけて全国に散らばっていった三河人の気質と泰平の世を築いた家康公の政策が合わさったことで形成されたのではないかとも考えられています。江戸時代には、「神君出生の城」として重要視され、石高こそ5万石前後と少なかったのですが、大名は岡崎城主になることを誇りにしたと伝えられています。現在の天守閣は、昭和34年に復興されたもので、三河人の気質戦国時代の三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は全員、現在の愛知県の生まれです。信長と秀吉は尾張、家康が三河の出身ですが、同じ愛知県でも尾張と三河ではその気質が大きく異なるといわれています。派手好きで独立心が強いといわれる尾張人の気質とは異なり、三河人は地味で我慢強く、協調性があり、質実剛健の方が多いようです。岡崎城徳川家康公が生まれた城として有名な「岡崎城」は、石垣や堀跡などの遺構が数多く残され、日本の100名城に選定されています。 90 ファイナンス 2024 Feb.家康公、天下取りの礎〜徳川家康公生誕の地 岡崎市〜岡崎市

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