ファイナンス 2024年2月号 No.699
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ファイナンス 2024 Feb. 79 図5 コースカベイサイドストアーズとヴェルニー公園(ティボディエ邸・レストラン)(出所)令和6年1月21日に筆者撮影プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)出店したが丸井や西友は閉店し、緑屋を引き継いだWALKも今はない。さいか屋は元の本館を平成22年(2010)に閉鎖した。西友の跡地には38階建のマンション「ザ・タワー横須賀中央」が建つ。造船所に始まる横須賀の街は、まもなく帝国海軍が本拠を置く街となり、戦後は米海軍の拠点となった。こうした経緯がドブ板通りをシンボルとする日米融合の文化を生み出している。昭和50年(1975)に発売されたダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコヨコハマヨコスカ」(阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲)など横須賀を舞台とした歌もあった。横浜の異国情緒、湘南のサーフカルチャーとも異なる独特の世界だ。近年は、日米の軍港を活かしたまちづくりが耳目を集めている。その好例が日本の「よこすか海軍カレー」とアメリカの「ヨコスカネイビーバーガー」だ。海軍カレーは英海軍を範としていた旧帝国海軍の糧食に着想を得ている。平成11年(1999)、まちおこしの一環で横須賀市が「カレーの街」を宣言した。海軍カレーを名乗るには、料理教本「海軍割烹術参考書」(明治41年、舞鶴海兵団編集)に沿った調理法で、牛乳やサラダを添える等の要件がある。小麦粉を使用した欧風カレーで牛肉か鶏肉が入る。ヨコスカネイビーバーガーは、赤味の多い100%牛肉を肉本来のうまみを損なわ軍港を活かしたまちづくり横須賀の街の歴史をひもとく上で在日米海軍の存在は欠かせない。鎮守府・海軍工廠の場所に米海軍が駐留し、その門前町もアメリカ文化の影響を受けるようになった。元町の通りの西端にあった海軍下士官兵集会所は米海軍に接収されて米海軍下士官兵クラブ(通称EMクラブ)になった。旧元町には米海軍の軍人軍属とその家族に向けてスーベニアショップ(土産物屋)、バーやキャバレー等の飲食店やライブハウスが集積。刺繍が目を引く「スカジャン」など新たな特産品もできた。横須賀の中心地は横須賀中央駅周辺に移ったが、かつての中心地の一角を占めた旧元町は日米文化が融合する街、「ドブ板通り」(図4)として有名になった。ないようシンプルに調理する伝統スタイルのハンバーガーだ。平成20年(2008)、米海軍横須賀基地が横須賀市に提供したレシピに基づくことが認定要件となる。現在、横須賀造船所が造成された横須賀本港は入り江を囲むウォーターフロント公園となっている。入り江の最奥部にはショッピングモール「コースカベイサイドストアーズ」がある。前身は平成3年(1991)に開店した「ショッパーズプラザ横須賀」で当時の核店舗はダイエーだった。ここは旧海軍工廠の一部で戦後接収されたが、昭和34年(1959)に返還され、浦賀船せん渠きょと林はやし兼かね造船に払い下げられていた。国道を挟む汐入駅前には横須賀芸術劇場やホテルからなる複合施設「ベイスクエアよこすか」がある。昭和58年(1983)に返還されたEMクラブの跡地を再開発したものだ。オープンは平成5年(1993)だ。入り江の北面には図2のような造船所ドック群が、南面にはドック群の整備に貢献した若き技術者を冠したヴェルニー公園がある。図5右側の白い洋館は令和3年に園内にオープンした「よこすか近代遺産ミュージアムティボディエ邸」だ。ヴェルニー側近が住んでいた官舎を再現した。その後、洋館を借景に木造瓦葺の瀟洒なレストランが開店している。ショッピングモールの目の前の桟橋を出航し入り江を約45分で周回する軍港めぐりクルーズが人気だ。小栗上野介たちが遺した遺産は、おそらく彼らの予想しなかった形で、現代に受け継がれている。

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