ファイナンス 2024年2月号 No.699
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ファイナンス 2024 Feb. 63 *3) 当該試算の仕組みについては、廣光ほか(2016)が、ひとつ前の版の試算に基づいて解説している。(1). マイルドなデフレ過程から脱却し、正常化を図る政策が功を奏しないのはなぜか。本書はこれまで正常化を図る取り組みは上手くいかなったし、今後も成功する見込みは低いとみる。それどころか、そのような試みを強行すれば、マイルドなデフレ過程を破壊してしまうとまで警告する。その理由を本書は正常化が孕む矛盾に求める。正常化に際しては、政府債務を引き受ける家計側は、物価や金利の上昇を視野に入れる。一方の統合政府の側は、金利と物価の低位安定が永続することを期待するため、両者の期待が両立しないのだとする。(2). 経済刺激が効果を発揮せず、日本経済の不振がつづくことは宿命なのか。このような観方に対しては異論もあるだろう。国民の良識と政治の賢慮が結託すれば、漸進的な正常化を期待してもよいはずではないのか。齊藤教授は、そのような期待には望みがないと考えているようである。本書によると、実質国債残高を足元のGDP比203.5%から1990年代の31.0%に戻すのに30年かけるとしても、その間5.5%の基礎的財政黒字を毎年続ける必要があるという(p. 151)。このような試算は本書に限ったものではない。財政制度等審議会・起草検討委員会(2018)は、国・地方の債務を安定させるため2020年度に一挙に収支改善を図る際に必要な収支改善幅を試算し、GDP比6.26-7.19%の改善を長期間維持する必要があると結論づけている(図1。なおこの試算はコロナ禍以前に実施されたもの)*3。そして、齊藤教授がリアリティのあるシナリオとみるのが、外生的ショックを引き金とする一度限りの物価高騰(3-4倍の物価調整, 第5章)を経ることで、実質債務を圧縮するというシナリオなのである。財政を預かる者がこの見解に同意することは決してないだろう。ただ、経済学者として齊藤教授が国全体を見渡した時、漸進的な正常化の遂行は至難であるとの見解に至った、ということなのだと解する。本書は1990年代以降の経済対策が効果を挙げなかったことを繰り返し指摘している。ひとつ読者が注意すべきことは、本書のいう対策が供給側に関わるものではないことである。日本の産業競争力は明らかに問題をかかえており、独立して考察する価値があるが、本書が問題とするのは、あくまでも需要側の対策である。では、需要喚起策はなぜ功を奏しないのか。その理由として本書が挙げるのは、究極のところ、家計や企業が消費や投資をせずに資金を国内銀行に預けつづけることが、マイルドなデフレ過程を持続させる前提となっていることにある。消費の低迷と、皆が活発に政府債務を持とうとすることはコインの裏表の関係にあるというわけである。「コインの裏表」という解答は、この三つ目の疑問へと読者を導く。企業は家計に所有されているから、究極の問いは、家計はなぜ生涯所得のすべてを消費せず、使い残すのかという問いとなる。ここで議論は一巡し、「貸しっぱなし」という、マクロ経済学が通常は想定しない事態がどうして起きているのかという根本に戻ってくるのである。この点への本書の解答は、ゼロ金利で貨幣需要が高まるとともに、国債についてもマイルドなデフレでその実質な価値が維持されるため、政府債務への需要が旺盛になるというものである。それでも、なおも読者は問いつづけることができる。使い残しをする家計とは不可解な存在である。とりわけ現実の家計には寿命と世代交代があり、無限に消費を先送りできるわけではないことが重要である。本書のモデルは無限に生きる家計を前提に構築されており、この地点にまで到達すると、この先は読者が自力で考える必要がある。遺産動機は説明の一端にはなりうる。残りの部分は消費する高齢者を考える限りは、高齢世代が政府債務を取り崩した分を若年世代が補うという線によるほかない。問題は、この説明が不安定を内蔵したものになるほかないことである。いずれデフレ過程が覆るのなら、先行世代が手放した政府債務を引き受けた後続世代は損する。後続世代へと政府債務を押し付ける機会を逸した、先行世代が損をすると言っても同じことである。誰が損をするのか分からない状況は、異なる世代間に戦略的関係を生み出す。デフレ過程の反転が、分配上の不均等を帰結することも(3). そもそも家計や企業は、なぜ消費や投資をしないのか。

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