ファイナンス 2024年1月号 No.698
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ファイナンス 2024 Jan. 54 図2 伊勢丹本店(出所)令和5年12月16日筆者が撮影、加工図1 市街図(出所)筆者作成を擁する京王新宿三丁目ビルの場所にあった。戦時末期に現在の新宿西口に起点を移したが、今も京王電鉄の登記上の本店は新宿三丁目である。この頃には新宿駅の乗降客数が東京で第1位となっていた。鉄道省が昭和4年(1929)5月22日に電車線の降車客数を調べたところ東京駅70,962人に対し新宿駅は81,842人だった。前後して新宿追分を中心に百貨店の進出が相次いだ。日本橋に本店を構える三越の進出は、大正12年10月、関東大震災の直後に急造した仮設店舗の「新宿三越マーケット」だった。大正14年(1925)に現在の新宿アルタの場所に建てられた鉄筋コンクリート造5階建の店舗に移転した。地元勢は大正15年(1926)、四谷で呉服店を営んでいた「ほてい屋」が交差点北西角に6階建の百貨店を立ち上げた。昭和2年に四谷新宿駅が開業した際、駅ビルの2~5階に、四谷で呉服店を営む武蔵屋呉服店が入居し百貨店営業を始めた。もっとも長続きせず、昭和4年(1929)に「新宿松屋」に交代した。松屋銀座の社長の妹婿、牛山武兵衛が立ち上げた百貨店である。その翌年の昭和5年、現在のビックカメラ新宿東口店の場所に三越が8階建の店舗を新築し移転する。駅前の旧店は三越グループの食料品専門店「二幸」に衣替えした。昭和8年(1933)、神田を本拠としていた伊勢丹がほてい屋の隣で開業し本店を新宿に移す。2年後の昭和10年(1935)にほてい屋を買収し両店を連結。東京で三越本店に次ぐ大規模店となった。銀行の出店も相次いだ。新宿三丁目交差点の南西角の三菱UFJ銀行新宿支店は、元を辿れば大正14年(1925)、二丁目に出店した第百銀行新宿出張所である。昭和2年(1927)に川崎第百銀行となり現在地に店舗を新築、その後三菱銀行となった。現在に至る再編で東海銀行も合流しているが、新宿の場合、東海銀行の前身の名古屋銀行(現存する同名行とは別)が大正12年(1923)に新宿支店を出している。三丁目界隈のみずほ銀行新宿中央支店は昭和2年に開店した第一銀行にさかのぼる。なお駅前の同行新宿支店は大正12年(1923)に進出した安田銀行が源流だ。大正15年(1926)から現在地で営業している。隣の三井住友銀行は昭和5年(1930)、同じ場所にあった浅田銀行の営業を引き継いで進出した住友銀行に由来する。三丁目交差点から駅前へ戦後も新宿三丁目交差点が街の中心だった。昭和

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