ファイナンス 2023年12月号 No.697
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ファイナンス 2023 Dec. 67令和5年度職員トップセミナーは、権力闘争が非常に起きやすいという点があります。基本的に、お互いの信頼関係を築くよりも、自分が成果を上げることが重要という前提が存在します。そのような状況では、他人に従うよりも、他人を従わせた方が気持ちいいので、どうしても権力闘争が起こりやすくなるのです。しかも、権力には源泉があります。この権力の源泉の奪い合いが、権力闘争の本質となるのです。(2)「中国式」法治の問題点その2「中国式」法治の2番目の問題は、チームとして成果を上げようという発想がなくなりやすいことです。要は、自分さえ成果を上げればいい、自分さえ評価を上げればいい、ということになってしまうのです。これは「中国式」法治の方法を採用すると、非常に発生しやすいマイナスの傾向です。(3)「中国式」法治の問題点その3実はもう一つ、「中国式」法治には大きな問題があります。それは信賞必罰という考え方に関わる問題です。土地などの賞の源泉がなくなると、財源が不要である罰だけの片肺飛行になって、システムが維持できなくなるのです。実は、「韓非子」の考え方は、戦国時代の秦という国の政という王様が採用します。これが後の秦の始皇帝です。秦が中国を統一した大きな原動力になったのが「韓非子」の考え方だと言われているのです。当時の恩賞は土地です。秦が他の国を滅ぼしているうちは、新たな源泉が手に入るから問題ないのですけど、全部統一してしまうと、恩賞にできる良い土地が手に入らなくなってしまう。しかも平和になると人口が増えるのです。ますます賞が減少し、罰だけの片肺飛行となった秦王朝はたった15年で滅びました。その後、項羽と劉邦という英雄が覇権争いを行い、劉邦が勝ち、漢という王朝を作りました。漢王朝は行政的には秦王朝のやり方を全て受け継ぎました。しかし、最初は戦乱が続いていて、人口が少なかったのです。恩賞の土地もある程度ありました。さらに貨幣が導入されたため、一応貨幣で恩賞を支払っていました。しかし、漢の武帝という皇帝が匈奴という遊牧民と大戦争を行い、国庫が空っぽになってしまいます。下手すると罰だけの片肺飛行になりそうになりました。このままでは秦王朝の二の舞だということで、漢王朝が何をやったかというと、「論語」的な「徳治」を導入したのです。すなわち「利益なんかを追っているのはつまらない人間であり、義(公益)を優先させてこそ立派な人間なのだ」という価値観を浸透させていくのです。実は、これがうまくいって、漢王朝は前漢、後漢と合わせると四百年という、大変長命な王朝になったのです。そこで、「徳治」と「法治」はやはり両立するのが良いという話になっていきます。前漢の第10代皇帝の宣帝、この人は前漢中興の祖と言われているすごい皇帝ですが、彼は「わが漢の王家には、ふさわしい制度がある。それが覇道と王道の併用だ」と言っています。覇道というのが、「韓非子」的な「法治」です。王道というのが「論語」的な「徳治」です。この二つを併用するからこそ長続きできるのだ、と。では「徳治」と「法治」をどうやって併用するのか?つまり、制度設計は、「韓非子」的な性悪説に基づき「法治」で作ります。しかし、実際にそれを運用するときは、「論語」的な性善説に基づいた「徳治」で運用します。ただし、「徳治」で運用すると、先ほど述べたような「徳治」の問題がどうしても発生します。問題が発生したら、制度設計しておいた「法治」を再度導入し、「徳治」の問題を解決します。問題がうまく解決したら、再び「徳治」の運用に戻します。これが併用の方法だと言われています。組織内で「徳治」の側面と「法治」の側面を、それぞれ異なる人間が担当し、コンビで行うと、うまく機能するのではないかという考え方があります。また、一人の人間がやる場合には、二重人格的に両者を操っていくしかないと言われています。私はいろいろな経営者と付き合いがありますが、す2.「徳治」と「法治」を二重人格的に繰るC.「徳治」と「法治」の両立1.制度設計は「法治」、運用は「徳治」

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