私どものものづくりへの思いは創業者の思いであり、本物(天然もの)へのこだわりです。お客様に自信を持ってお売りできる製品を作る、お客さまが安心して召し上がることができる製品を作るべく、祖父は本物(天然もの)にこだわっておりました。ホッピーという名前も「本物のホップから作られた、本物のノンビア」という思いで付けた名前でございます。弊社の売上高の推移を見ますと、1997年に12億円あった売上が、2001年には8億円まで落ちています。その後、いろいろな方のお力添えで売上が伸びていきまして、満を持して2012年に父から3代目のバトンを受け継ぎましたが、その途端に売上が2年連続で落ちていきました。この原因についてはよく分からないのですが、組織として次の段階に入っていたのかな、と今になって思うところです。そのあと組織の第2フェーズとしての作り直しをいたしまして、そこから上昇気流に乗っていきます。2018年度、父が会長として出席できた最後の経営計画発表会で発表した数字がホッピービバレッジ史上、初の売上40億円半ばの数字でございました。父と一緒にくす玉を割りまして、さあ次は売上50億円を目指して頑張ろう、と言った途端にパンデミックが始まりまして、売上はガンと落ちました。パンデミックは勿論大きな影響がありましたが、社員全員が元気でこの3年間を乗り越えられたこと、調布にある弊社唯一の工場にもトラブル等が発生しなかったことについて感謝して、ここからまた新しい市場を作っていこうと考えています。2.ホッピーを何とかしなくちゃア)女性向け美容雑誌VoCEがホッピーを特集では次にホッピーを生き返らせたことについてお話いたします。先ほども申し上げたとおり、私の入社当初売上は本当に地に落ちていたのですが、VoCE(ヴォーチェ)という女性向けの美容雑誌に外務省の女性職員が投稿してくださったことがありました。お仕事が終わると、霞が関、虎ノ門界隈でホッピーを飲んでいます、という内容の投稿でした。今でこそ居酒屋で女性がホッピーおいしいのよね、という声を聞くようになりましたが、90年代の終わりに、それも外務省で働く女性がこの界隈でホッピーを飲んでいるというのは青天の霹靂みたいなお話でありました。VoCEの方もびっくりして、弊社に問い合わせがあり、それがきっかけでその雑誌でホッピーの特集をしていただきました。このようなこともホッピーが変わっていくサインでした。ホッピーを何とかしないといけない、ということで最初に瓶のラベルを何とかしようと思いました。ホッピーと黒ホッピーは一対の商品なのにもかかわらず、ラベルが全く違ってよく分からないですし、またホッピーの方は、これから女性が市場の主役だという時代に、どう考えても女性が手を伸ばすようには思えないデザインでした。先ほどご紹介した市場調査で「ホッピーはダサすぎる」「もっとオシャレなものにしてほしい」「割って飲むのが面倒なのであらかじめ割った商品を作ってほしい」という声があったので、お客様の声をそのまま守って、広告会社勤務時代に友達になったデザイナーとコピーライターにお願いしてホッピーハイという商品を作ってもらいました。しかしこの商品が世の中に出た瞬間、「ホッピーがこんなにオシャレであるはずがない」というお客様からの声がありました。こいつはホッピーという名を被った偽ものに違いない、ということです。また、ホッピーハイは焼酎で割っているわけではないので、いつもの味にならないのです。結局のところ、居酒屋で飲むホッピーと違うじゃないか、割らないとつまらないじゃないか、ということになり、大失敗でした。スティーブ・ジョブス氏が「多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのか分からない」という名言を残していますが、本当に彼の言う通りで、実はお客様も本当に欲しいものはお分かりになっていない、ということを知る経験になりました。実は父もホッピーのイメージを時代に合わせて変えていく、より良くしていく、より訴求力の高いものに 46 ファイナンス 2023 Nov.キ)本物(天然もの)へのこだわりク)売上高推移イ)瓶のラベル見直しとホッピーハイの失敗ウ)宝は自分の手の中にあった
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