皆様おはようございます。石渡と申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。私は3代目代表取締役社長としてホッピービバレッジに戻る前、広告代理店で3年ほどお仕事をいただいておりました。その時、官公庁の営業を担当しており、特に総理府と大蔵省を担当していました。そのため、この財務省の建物には頻繁に出入りしており、地下一階など大好きでしたので、今日はとても懐かしく感じています。平成7年には、前年の酒税法の改正を受けて、創業2代目である父が国税庁から全国5番目に地ビール製造免許をいただきました。父は「ビール作りは男の浪漫。創業者である親父も本当はビールを作りたかったのだが、それができなかったのでホッピーを作っていた。これで親父の夢を叶えることができた。」と噛みしめるように言っておりました。その時に社名をコクカ飲料からホッピービバレッジに変更して、現在に至っています。私が3代目を継ごうと本気で思ったのはこの地ビールがきっかけでした。「うちの会社はビールも作るようになるのか、それはおもしろそうだ。」と思いました。もし、この時地ビールの製造免許をいただかなかったら、私は別の人生を歩んでいたことでしょう。本当に感謝申し上げます。本日はブランディングと人財教育を中心に、このパンデミック明けに、個人としても会社としても力を入れていることについて、お話させていただきます。ホッピーを巡る状況は惨憺たるものでした。書店で立ち飲み系の居酒屋さんに関する書籍を手に取って読んでみましたら、「絶滅危惧種だと思っていたホッピーがまだ生きていた」という内容の記事でした。これから後を継いでいくというタイミングでホッピーが絶滅危惧種だったことを知り、驚きました。私はホッピービバレッジ入社後すぐに、ホッピーについて市場調査を行いました。その結果は本当に惨憺たる内容でした。「ホッピーというのは、お店で残ったビールを集めてきて薄めて出しているものだ」「ホッピーを飲むと腰が立たなくなる」「遺言にホッピーだけは飲むな、と書いてある」というようなお声ばかりでした。しかし、調査会社の人が「石渡さん、調査結果は悲惨だけれど、この知名度の高さは宝です。飲んだことはない、好きではないけれども、とにかくホッピーのことは知っている、ということは生かせる財産だと思うから、これは大事にしなさい。」と言ってくださったことが、私の新たなスタートのきっかけとなったのです。その当時、会社によくいただくお問い合わせは「ホッピーを飲みたいが、どこで飲んだらいいか分からない。買いたいのだが、どこで買ったらいいか分からない。」という内容でした。当時はPRするには広告を使うしかなかったのですが、広告は非常にコストが高いですし、代理店を通すので時間もかかるのです。イ)ホッピーの惨憺たるイメージと高い知名度私がホッピービバレッジに戻りました1997年当時、ウ) お客様にホッピーを知ってもらう: 44 ファイナンス 2023 Nov.講師演題ディング戦略および人財教育〜ディング戦略および人財教育〜1.ホッピーについてア)地ビールの免許がきっかけで3代目に令和5年8月25日(金)開催Web活用令和5年度夏季職員 トップセミナー石渡 美奈石渡 美奈 氏 氏(ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長)(ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長)社長が変われば会社は変わる社長が変われば会社は変わる〜 ホッピービバレッジ3代めのブラン 〜 ホッピービバレッジ3代めのブラン
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