第45回 「石川県小松市」第45回 「石川県小松市」図1 曳山(出所)写真はすべて筆者撮影(令和5年8月18日)図2 京町の山本久次商店(左)と旧加能合同銀行小松支店(右)275D510C240E295E540C470D470D1,570C560C510C320D1,560C570C1,380C810C1,410C360D490D360D255E560C610C1,650C1,620C620C1,730C1,520C1,510C400D1,200C370D400D1,090C320D320D1,080C870C730C500D2,210C2,160C2,240C2,100C1,720C1,550C1,500C1,130C1,150C340D400D970C870C290D275D270D2,350C2,390C610C550C600C540C1,430C420D900C390D400D390D410D870C390D850C2,900C2,550C2,600C2,430C660C630C2,310C650C1,900C1,500C420D410D400D400D420D410D440D小松といえば歌舞伎「勧進帳」で知られる。舞台の安宅は小松の外港で北前船の拠点となった。小松は、前田家3代利常の隠居城として寛永16年(1639)に建てられた小松城の城下町だが、北國街道の宿場町、加賀絹産地を後背地に持つ問屋町としても賑わった。町衆の栄華を今に示すものとして、8基の曳山が町内を練り歩く「お旅まつり」がある。本もと折おり町の本折日吉神社と浜田町の莵う橋はし神社の例大祭で毎年5月に開催される。本折町は北國街道の両側町で小松の陸路の入り口だ。浜田町は道沿いに九く龍りゅう橋ばし川が流れており、要するに川舟で小松に入るルートである。共催2社が小松の陸路と水路の入り口に立地する点、興味深い。京都の祇園祭と同じく町ごとに山車を出して曳き回す祭りだが、小松の曳山は車上の小屋で歌舞伎が演じられる。役者は町の子供で、8基のうち毎年2基の持ち回りで上演される。今年の当番は大だいもんじちょう文字町と京きょうまち町だった。曳山歌舞伎は1766年(明和3)頃に北國街道沿いの龍りゅう助すけ町ちょうと西にし町ちょうで始まった。他に寺てら町まち、大文字町、八よう日か市いち町まち、京町、中なか町まち、材ざい木もく町ちょうが曳山を持つ。以前は松まっとう任町まち、東ひがし町ちょうの曳山もあったが焼失した。なお曳山8基のうち2基は八日市町の交差点の「こまつ曳山交流館みよっさ」に常設展示されている(図1)。米谷銀行は明治35年(1902)に金沢支店を出店。大正8年(1919)には金沢支店に本店を移した。その後、大正14年(1925)に七尾銀行、翌15年には松任銀行を合併して加能合同銀行となった。頭取は代替わりした7代米谷半平である。昭和5年(1930)、加能合同銀行は小松支店を新築京町の銀行街曳山八町の分布から近世以来のビジネス街がうかがえる。その中心は北國街道と九龍橋川が交差する九龍橋近辺にあった。小松の街は九龍橋を境に北側が橋北、南側が橋南と呼ばれている。九龍橋を渡って小松城側が京町である。京町には銀行が集積した。小松で初めて開店したのは第十二国立銀行の派出所である。明治11年(1878)に開店し明治24年(1891)に撤退したが、閉店に伴って設立された米谷銀行が営業を継承した。米谷銀行は石川県を地盤とする北國銀行の祖である。オーナーの米こめ谷たに家は北前船問屋を営んでおり、初代頭取の米谷半平は6代目だった。 40 ファイナンス 2023 Nov.旧市街に面で広がる町家の風景旧市街に面で広がる町家の風景路線価でひもとく街路線価でひもとく街のの歴史歴史
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