服部孝洋 特任講師してほしいというニーズがあったのでしょうか。齋藤 当時はデフレ環境下でしたから、物価連動国債もそこまでニーズが強かったわけではないですね。ただ、国債の基本的な品揃えとしてあった方がいいということになりました。マーケットの物価上昇に対する予想というか期待インフレ率、いわゆるブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)を計測するという意味でも、物価連動国債があった方がいいですし。服部 確かにどこの国にも、物価連動国債はラインナップにありますね。齋藤 我々発行当局は、品揃えの観点で物価連動国債をなんとか再開、復活できないかなと考えました。その結果、フロアをつけるという形になりました。昔の物価連動国債は、インフレになれば額面が増えますし、デフレになれば額面が減って、投資家からすると額面割れになるようなリスクを伴うものになってたわけです。なので、額面割れしないように、言い換えれば、フロアをつけて、損はしない商品にしました。もちろんその分だけ、マーケットのインフレ予想を計測するという意味では不正確になる部分が出るわけですけど、それでも商品としてあった方がいいし、海外の物価連動国債を見てもフロアをつけている国があるわけですから、別に日本だけが特殊なことをするわけではありません。そういう訳で、フロア付きで物価連動国債を出そうということになりました。服部 国債市場懇談会(市場懇)が始まったのも、変動利付国債再発行のすぐ後ですね。齋藤 そうですね。市場懇を立ち上げた時はまだ私は課長補佐でした。服部 現在、国債投資家懇談会(投資家懇)はありますが、市場懇はないですよね。市場懇はどういったものだったのでしょうか。プライマリー・ディーラー(PD)制度ができたのは2004年ですが、PDも含め、市場懇にはもっと幅広い投資家がいたのでしょうか。齋藤 当時はPD制度ができる前でした。国債市場懇談会は、マーケット関係者と定期的に集まるような会議としての第一号です。今の会議体でいうと、PD会合と投資家懇と、今はちょっと変わってしまいましたけど、国の債務管理の在り方に関する懇談会(在り方懇)という有識者との会議がありまして、その3つを兼ね備えているような側面がありました。金融マーケットの重鎮と見られていた方にも、メンバーとして入っていただいていました。服部 この辺りからオフィシャルに会議体作りが始まって、投資家懇があって在り方懇ができて、という中で、市場懇が発展的に今の国債市場特別参加者会合に代替されたというイメージですね。PDの制度については、ご担当の時にも議論があったんでしょうか。齋藤 ありました。服部 海外の事例について学んで、それを輸入するというような形でしょうか。齋藤 その通りです。特に、アメリカの事例を参考にしました。服部 課長補佐時代は、国債課に3年間いらっしゃって、その後次に異動されると思うんですが、この時は理財局の財政投融資をやられているんですね。齋藤 財政投融資を2年やって、その後総務課に異動しました。総務課にきた時が、丁度まさにPD制度を具体的に設計していた頃ですね。服部 その意味では、PDの制度設計にも関わっていらっしゃったんですね。齋藤 そうですね。当時の国債課の担当補佐は、私のところに相談に来ていました。服部 PD制度が入る前は、入札はしているけど応札義務を持った人たちはいないという状況だったんですね。2002年に国債の未達が起こったのも、そのことと関係があるのでしょうか。国債の未達が起こってから、2004年にPD制度が導入されましたが、PDの一つの良さは、応札義務が生じるので、未達が起こりに 28 ファイナンス 2023 Nov.
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