ファイナンス 2023 Oct. 93徐福公園。中国風の楼門が目を引く。新宮花火大会。 この新宮港を含め、新宮出張所は和歌山県のうち、新宮市及び東牟婁郡を管轄地として、社会の安全・安心を妨げる不正薬物や拳銃等の国内流入を防ぐため、海上保安庁、警察等と連携し、水際取締りを実施しています。観光に目をやると、多くの名所旧跡がありますが、新宮駅を降りますと徐福公園が目に入ります(園内に徐福の墓碑あり)。徐福は、秦の始皇帝に命じられて、不老長寿の妙薬を探すため、この地に上陸したと伝えられています。徐福はその後も大陸に戻ることはなく、農耕や捕鯨、紙すきなどの技術を当地に伝えてくれたとのことで、今なお地元の人に慕われています。また、徐福の遺徳を偲ぶ供養式典として、熊野川河川敷で本年8/20(日)、4年ぶりに新宮花火大会が行われました。水上ス3.新宮市新宮市は、熊野川流域から産出する木材の集積地として発展してきましたが、現在は卸・小売業やサービス業を中心とした第3次産業が、事業者数、雇用労働者数ともに第2次産業を凌いでおり、商業都市としての性格を持っています。ターマイン、ナイアガラなど約6,000発の花火は迫力満点。私は、やけに今晩は街中に人が少ないと思ったら、ドンドンドンと花火の打ち上げが開始され、急いで見に行きました。市内外から約4万5,000人(主催者発表)が来場し、夜空に打ち上がる大輪の花火を楽しみました。ここに祀られてきたのが、「熊野三山」とよばれる、本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉大社)・那智(熊野那智大社および那智山青岸渡寺)の3社1寺で、いずれも熊野川や大きな岩、滝などの自然崇拝が起源であったとされています(補陀洛山寺(ふだらくさんじ)を含め3社2寺を熊野三山と説明されているものも見かけます。)。今から1,000年くらい前(平安時代)になると、熊野は、神や仏のいるありがたい理想の世界と考えられるようになります。そのため修行するお坊さんだけでなく、天皇を退いた上皇や貴族も大勢、この世の幸とあの世の救いを求めてお参りするようになり、その熊野参詣道を「熊野古道」と呼んでいます。600年くらい前(室町時代)からは、熊野三山の信仰は、地方の武士や庶民にも広まりました。多くの人々が熊野へ列をなす様は、「蟻の熊野詣」とまで言われたのです。2004年(平成16年)7月、熊野三山及び熊野古道は、歴史的資産と、人々と自然の関わりの中で培われた文化的背景が高く評価され、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、日本で12番目の世界遺産に登録されました。熊野古道は6つの路がありますが、熊野本宮大社を最初の目的地とし、ここから熊野川を下り、熊野速玉大社から熊野那智大社へと参拝するのが一般的だったといわれています。我が新宮市には6つの路のうち、4つ(中辺路の他、大辺路、伊勢路、大峰奥駈道の一部)が通っており、「世界遺産の交差点」といえます。先日、私も東京の知人とともに、熊野古道・中辺路(大雲取越、小雲取越)を1泊2日で歩き、悠久の時を体感、身を浄化し蘇りました。なお、道中の昼食はやはり、熊野を代表する郷土料理の「めはり寿司(高4.熊野三山及び熊野古道紀伊半島の南部は、古くから「熊野」とよばれて、都から見て隅っこながら、清らかな所として多くの人々から敬われてきました。新宮市
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