(出所)令和5年8月18日に筆者撮影ファイナンス 2023 Oct. 79プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。近著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)図5 山町筋の街なみ 11年(1999)に閉店を余儀なくされた。平成14年(2002)、イオン高岡SC(現・イオンモール高岡)が高岡駅の南郊2kmに開店する。富山県内で最大の規模だった。影響を受けたのは高岡サティである。平成21年(2009)に閉店することになった。高岡の場合、郊外化をさらに進めた変化が2つあった。1つは、高岡から名古屋まで中部地方を縦断する東海北陸自動車道が平成20年(2008)に開通したことである。東西軸の北陸自動車道と小矢部砺波JCTで交差する。富山県全域に石川県や岐阜県北部を取り込む広域商圏ができ、十字路の結節点となる高岡エリアがその中心機能を担うようになった。平成27年(2015)には高速道路ICの近くに3つの大型店ができた。コストコホールセール射水倉庫店、イオンモールとなみ、三井アウトレットパーク北陸小矢部である。もう1つが北陸新幹線の開業である。新幹線「新高岡駅」がイオンモール高岡の北側にできた。高岡の場合、高速道路と新幹線の両方の影響がうかがえる。県内から広く集客するイオンモール高岡は高速道路ICに通じるアクセス道の立地である。また都市間鉄道のターミナル機能が高岡駅から移った点も見逃せない。北陸新幹線の開業に伴い旧北陸本線の富山県内の区間は第三セクター鉄道「あいの風とやま鉄最高路線価は郊外の新・駅前に新高岡駅が開業して5年後の令和2年(2020)、最高路線価地点が新高岡駅の北側「京田県道57号線」に移った。人口10万人台後半の都市で最高路線価地点が郊外に移った例は珍しい。この年は北海道釧路市も最高路線価地点が郊外に移った。道」に移管された。大阪発の特急列車は手前の金沢駅が終着となった。旧北陸本線が近郊路線となり、新高岡駅の周辺が機能としては「駅前」である。実際、新高岡駅の周辺一画に新たな都市が形成されている。イオンモール高岡の南側には、平成6年(1994)に来た済生会高岡病院がある。高岡医療圏の急性期医療を担う基幹病院の1つである。その隣に高岡市サッカー・ラグビー場がある。ターミナル駅を中心にそれぞれ中枢レベルの商業、医療、スポーツ施設が立地する一画はまさに郊外型の新都心の様相を呈している。とはいえそうした印象と住民の豊かさには関わりがない点には留意が必要だ。金屋町に端を発した鋳物産業は戦後、アルミニウム工業に展開した。三協アルミニウム工業の創業者の竹平政太郎記念室が金屋町の町家(KANAYA)の2階にある。同社の前身の「竹平着色所」の創業地だ。後継の三協立山は当地を代表する企業だが、その他にも高岡にはトナミホールディングスなど上場企業の本社が6つある。地元に根を張る大企業の本社が多いことが地方創生では強みとなる。かつて中心街だった山町筋は赤レンガの銀行をアクセントに土蔵造りの町家が軒を連ねる落ち着いた街なみとなった(図5)。金屋町と同じく重要伝統的建造物群保存地区にも指定され、いまや貴重な観光資源である。商業、医療などの中枢機能は郊外に分散し、ターミナル駅も移転した。かつての中心街は確かに「空洞化」したが、視点を変えれば閑静な街になった。高度成長期に産業化される前の街なみに戻し、住まう街あるいは観光資源に再生する次の一手もある。郊外化で進んだ街なみ再生令和元年(2019)8月、大和高岡店がサテライトショップを残して閉店。御旅屋通のアーケード商店街や駅前に至る大通りはシャッターを閉じたままの店が多く、閑散とした印象は否めない。
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