(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成。なお店舗面積は高岡市中心市街地活性化基本計画の記載による福岡IC能越25.777㎡砺波IC北陸自動車道高岡IC富山高岡バイパス最高路線価’93~09高岡サティ23,813㎡’02~病院スポーツ施設イオンモール高岡72,700㎡高岡砺波IC’15~コストコホールセール10,099㎡’15~三井アウトレットパーク22,700㎡自動車道小矢部東IC小矢部砺波JCT’15~イオンモールとなみ東海北陸自動車道北陸新幹線図3の範囲’83~イオン高岡店11,996㎡’89~アプリオ10,708㎡’04~イータウン14,761㎡’96~アルプラザ小杉21,408㎡小杉IC図4 広域図 78 ファイナンス 2023 Oct.屋とは鷹狩や領内の視察の際に訪れる藩主の宿泊施設だ。ホテルニューオータニ高岡の前に案内板がある。中心街の移転には、昭和通(現・末広町通)に開業した路面電車の影響もある。路面電車は現在の万葉線だ。万葉線は昭和23年(1948)4月に地鉄高岡駅と伏木港駅の間で開通した富山地方鉄道伏木線を前身とする。現在のJR氷見線とほぼ並行して走っていた。3年後、途中の米島口駅からY字に分かれ新湊駅(現・六ろく渡どう寺じ駅)に至る新湊線が開通。高岡軌道線となった。昭和34年(1959)に加か越えつ能のう鉄道に経営が移り、昭和46年(1971)に新湊線が廃止され現在の路線となった。なお軌道線は六渡寺駅が終点だが鉄路は越ノ潟駅まで続いている。この区間は鉄道事業法の鉄道路線で富山地方鉄道の射水線を前身とする。万葉線を最後にわが国では長らく路面電車の新設がなかった。今年8月、宇都宮市で開業した「宇都宮芳賀ライトレール線」が実に75年ぶりの新線である。往時の勢いといえば高岡駅前には北陸唯一の地下街がある。昭和44年(1969)12月に開業した。面積は4,244m2で渋谷地下街(しぶちか)の4,676m2に比べ一回り狭い。国土交通省が平成25年(2013)に調べた地下街一覧表を見る限り、高岡市は本格的な地下街を擁する都市で最も小さい。昭和40年代、駅前に3つの大型店が登場した。昭和40年(1965)に長岡市本店の丸大百貨店が進出。昭和46年(1971)にユニー、その翌年には金沢市本店のいとはん(後に北陸ジャスコ)が開店した。商業中心地は御旅屋通から駅前に拡大した。地下街を擁する地方都市昭和38年(1963)、最高路線価地点が駅前に移った。詳細には図3の(2)で示した路線である。昭和48年(1973)から「末広町毛利カバン店前駅前通り」で、図3の(3)の部分だ。高速道路の吸引力がつくる新たな中心平成5年(1993)、駅の南側に高岡サティが開店した。1,250台の駐車場とシネコンが話題になった。車のアクセスは郊外店に匹敵し、南側とはいえ駅前立地という強みは駅北側の既存店の脅威となった。駅北側の対応策は2つに分かれた。平成6年(1994)、御旅屋通の大和高岡店は隣地で店舗を3倍にした。活性化の切り札として整備された再開発ビル「御旅屋セリオ」の核テナントとなった。駅前のユニー高岡店は撤退を選択し、御旅屋セリオが開業した年に閉店した。郊外大型店の攻勢も激しかった。平成8年(1996)アルプラザ小杉が開店。その翌年は自動車の世帯普及率が都道府県で2位となった。それまで高岡の中心市街地で買物をしていたケースでも、少なくとも日用品については郊外店で間に合うようになった。業態が郊外店と競合する上、余力も失っていたダイエーは平成もっとも高岡の場合、昭和50年代から厳しい立地間競争があった。競合の1つが駅の南側である。昭和51年(1976)10月にダイエーが進出。北陸地方の出店第1号だった。もう1つはバイパス沿線である。郊外大型店のさきがけが昭和58年(1983)に開店したジャスコ高岡店(現・イオン高岡店)だ。1,100台の駐車場は当時の県内最大規模だった。富山県は自動車の普及ペースが速く、世帯普及率の都道府県別ランキングでは昭和44年(1969)から10位以内を維持していた。世帯当たり1台を超えたのは平成元年(1989)である。
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