ファイナンス 2023年10月号 No.695
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御馬出町旅籠町坂下町昭和通大仏1 ①③②図3 市街図(出所)筆者作成ファイナンス 2023 Oct. 77街道筋路面電車通町高岡→中越跡守山町米穀取引所跡旧高岡共立片原町交差点関野神社ダイエー跡金屋町千保川不動跡木舟町小馬出町(北陸街道)47/北國跡商業跡冨山産業跡片原町北陸大和御旅屋通ニューオータニいとはん跡ユニー跡冨山丸大跡岡銀行、明治28年(1895)には高岡共立銀行が設立された。守山町にある赤レンガの建物は、大正3年(1914)12月に竣工した旧高岡共立銀行の本店である(図2)。鉄骨レンガ造銅板葺2階建で設計は清水組(現・清水建設)の田辺淳吉。伝統的建造物に特定されている。赤レンガに白い石のアクセントが東京駅の赤レンガ駅舎を彷彿させるが、それもそのはず、東京駅を設計した辰野金吾の監修だ。大正9年(1920)、高岡共立銀行は高岡銀行と合併し新銀行を立ち上げる。新銀行の商号も高岡銀行とし、本店を赤レンガ行舎に置いた。その後、昭和18年(1943)、1県1行主義の方針に従って、富山市本店の十二銀行および富山銀行、砺波市が本店の中越銀行と合併して北陸銀行となった。赤レンガ行舎は北陸銀行の高岡支店となる。戦後、昭和39年(1964)に北陸銀行高岡支店は片原町交差点の角に移転。赤レンガ行舎は昭和29年(1954)に創業した富山産業銀行(現・富山銀行)が引き継いで本店とした。その富山銀行も令和元年(2019)に高岡駅前に移転。赤レンガ行舎は高岡市が譲り受けた。御旅屋通と百貨店大正15年(1926)の大蔵省「土地賃貸価格調査事業報告書」を見ると、当時の最高賃貸価格は木舟町になっていた。山町筋に変わりないが、駅前正面からまっすぐ延びる道路と交差する地点に移った。昭和に入るとこの道路は都市計画に従って拡幅され「昭和通」と名付けられた。高岡駅が開業したのは明治31年(1898)1月2日である。砺波地方と伏木港を結ぶ中越鉄道の駅だった。中越鉄道は富山県で初めて開業した鉄道で、現在のJR城じょう端はな線および氷見線である。高岡駅の開業前は2kmほど南、現在の新高岡駅の近くの「黒田」に仮停車場が置かれていた。その後、駅の場所が決まった後で高岡駅が開業したわけだが、所在地はは射水郡下関村で高岡市ではなかった。高岡市になったのは大正14年(1925)に編入されて以降だ。高岡駅が開業した年、官営鉄道北陸線の高岡駅が隣接して開業した。北陸線は敦賀から北に向かって整備が進められており、高岡駅の開業前は金沢駅が終点だった。駅と山町筋を結ぶ広幅道路「昭和通」の開通は、山町筋に対する駅の吸引力を強めることになった。昭和12年(1937)9月、中心街から坂を上った台地にある御お旅た屋や通に、高岡初の百貨店ができた。鉄筋コンクリート5階建で、2年前に金沢で百貨店を創業した丸越の2店目である。昭和18年(1943)、丸越と同じく金沢に本店を構える大和百貨店と合併。丸越高岡店は大和高岡店となった。既存店との競合を避けて百貨店が開店した頃の御旅屋通は郊外の位置づけだったが、戦後はこちらが中心街となった。昭和31年(1956)の路線価図をひもとくと、当時の最高路線価地点は御旅屋通のうち図3の(1)の部分、大和百貨店の前にあった。ちなみに御旅⛩⛩

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