44 ファイナンス 2023 Oct.決まった表面利率、クーポンに基づいて、各業者が指していた利回りが価格に置き換えると一体いくらなのかを計算し直さないと、いくらで買うのかというのが出てこないわけです。利回りのままだと価格が分からないままなんです。しかし、当時、証券会社ごとに複利の計算式が違いました。例えば、その価格と利回りを計算するときに、日割り計算が当然必要になるわけですが、1年を365日で割るか、360日で割るのかが会社によってまちまちでした。服部 業界統一の計算式がなかったということですね。齋藤 そうです。なので、財務省が決めようということになりました。もちろん、各社どうやっているかを全部聞き、諸外国がどうやっているかも聞き、一番合理的なものを選ぼうとしました。それで、複利利回りと価格の計算式は、財務省としてはこれを使いますというのを発表しました。服部 それがある意味で、日本の業界のスタンダードを作ったとも言えるわけですね。面白いですね。日本の入札の1つの特徴はダッチ方式とコンベンショナル方式を両方とも使っているという点だと思います。物価連動債は、ダッチ方式ですね。齋藤 物価連動債はダッチですが、イールドではなく、価格でやっています。服部 30年債の入札というのは、TB1年物よりもはるかに大変だったということですね。新しい方式ということもあるし、金利リスクも大きい。色々な議論をされたと思います。齋藤 たしかに大変でしたね。服部 デュレーションがどんどん伸びてきたのはこの頃くらいからですね。生命保険会社なども国債を買うようになったイメージです。齋藤 もちろん、生保とも議論しました。さきほどの30年債と同様に国債の発行額が増える中で、それを円滑に消化するためには、何か新しい年限の国債をやっぱり出していかなければいけないだろうと、そういう流れの中で導入したのが、5年物の利付国債です。もともと海外の国際マーケットなんか見ても、年限の刻みは一般的には、2年があって5年、10年という形になっていますよね。服部 2、5、10年の刻みはグローバルスタンダードですね。齋藤 そうなんです。でも日本の場合は、その中期と言われる国債はなぜか、5年じゃなくて4と6年という刻みだったんです。服部 長期信用銀行に気を使ったんですよね。齋藤 そうです。今はもうなくなってしまいましたけど、昔は長期信用銀行という金融機関の業態があったわけですよね。日本興業銀行と日本長期信用銀行、日本債券信用銀行という3つの銀行がありました。それで、この長期信用銀行の資金調達手段の主力が、5年物の利付金融債でした。当時の大蔵省は、利付の国債はこれに遠慮する形で、あえて5年を避けて、4、6年債で出しました。実は5年は個人向けに割引債で出してはいました。正確に言うと、個人しか買えないわけではなかったので、今の個人向け国債と位置づけは違うんですが、実際に買い手になっていたのはほとんど個人でした。こういう形で遠慮していたんですが、やっぱり4、6年債と二つに分けて出すよりは、5年債に一本化したいということになりました。一本化した上で、そこでまとまった金額を出す方が、流動性が高いマーケットを作っていけます。当時は批判もあったのですが、国債の発行額が増えていく中で、国としてもいつまでもこのままではやっていけないということもありました。服部 落としどころとしてはどうなったでしょうか。齋藤 5年の利付国債の発行を始めるが、いきなりたくさんは出さないで、金額が少ないところから少しずつスタートして増やしていくことになりました。したがって、5年利付国債を導入したタイミングでは、実は4、6年債が残っていたので、4、5、6年債の3本立てで出ていました。その後、徐々に4、6年債から5年債に移行していく形です(図表3を参照)。(翌月号に続きます)
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