ファイナンス 2023年10月号 No.695
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ファイナンス 2023 Oct. 43齋藤通雄氏に聞く、日本国債市場の制度改正と歴史(前編) TB1年債・5年債・30年債の導入服部 日本における運用部ショックは、1998年の金融危機の直後ですね。この後、30年債、5年債、変動利付国債が矢継ぎ早に出て、今の確立した国債の商品性が固まります。齋藤様はこの時ちょうど新しい種類の国債の導入を担当されていたということですね。齋藤 そうです。服部 これらの新商品の導入には、どういった議論があったのでしょうか。齋藤 例えば、平成11(1999)年度のあたりで、運用部ショックの後にTBの1年物と30年債と5年債、それから15年変動利付債と、新しい商品が4つ出ています。でも、実はそれぞれ、背景事情が違うんです。例えばTB1年物の入札については、短期はそれまで3カ月物と6カ月物しかなかった。それ以外に、FBと呼ばれる資金繰りのために発行される短期債があって、それは実は日銀が全部引き受けていたんです。それを円の国際化の中で、短期の金融市場を育てるという意味で、FBを市中公募しようという話になってきました。それで、直接マーケットでFBを出して、短期のマーケットの厚みを増すということを始めたんです。この流れの中、それまで国債を発行していた理財局の立場からすると、2本立てで出していた3カ月と6カ月物のTBがあったところで、FBの3カ月物を市中公募することになりました。3カ月物はすべてFBに譲るとしても、国債の発行額はむしろ増えており、短期の新しい商品を出す必要性にも議論が進み、1年物を導入することになりました。服部 円の国際化、市中公募、TB1年物という大きな文脈があるんですね。齋藤 そうです。他にも新しいものを出せないかという中で、それまで一番長いもので20年までしかな間とか、ずっと分析をやっているわけですから、そういう人たちの方が、当然専門的な深い知識を色々持っているので、そういった知見を国債の発行に活かしてもらうために来ていただいています。服部 今の国債課は、たぶん財務省の中でも、民間出向者の割合がかなり高いですよね。昔はどうだったんでしょうか。齋藤 昔よりは今の方が明らかに増えていますね。かった国債について、30年物を作ろうということになりました。服部 30年債という重要な商品を作られたわけですが、当時について印象深いことはありますでしょうか。齋藤 30年債の導入では単に新しい年限だということだけではなく、面白い新しい試みをやっていました。例えば服部先生のご専門のあたりでしょうが、入札でいうと、それまでの国債は全部発行当局がクーポン、すなわち表面利率を決めて、入札参加者には入札したそれぞれの価格で、実際に買ってもらうという方式でやっていたんです。服部 コンベンショナル方式ですね。齋藤 新しく30年国債を入れるにあたって、今までよりもイールドカーブが伸びるわけですけど、カーブを右に伸ばしたところで30年の金利の居所がどうなるかというのが誰もよく分からなかった。もちろん理論値は色々な形で出せます。ただ、最後は需要と供給のバランスで決まるので、その理論値通りにいくかは誰にも分からなかったんです。なので、我々発行当局からすると、表面金利を何パーセントにするか自信をもって設定できないんです。その上、入札に参加する金融機関の人たちからしても、これぐらいの値段で買えばいいかなと思ったら、実は本当はもっと安かったです、みたいなことになると、入札に参加している人たちからすると、高値掴みするリスクも出てくる。どうしても入札に臨むスタンスがおっかなびっくりになってしまう。そういう中で、どういう発行方式をやるのがいいかとなったときに、イールドダッチという新しい入札方式を入れることになりました。つまり、表面利率、クーポンも入札の中で決めることにするとともに、その発行予定額に達するところの最低落札価格で、全員その値段でいいです、高値掴みの心配はありませんよという入札方式にすることにしました。服部 前例がないことですよね。齋藤 日本で前例はないですね。ただ、アメリカではイールドダッチはやっていました。さっきお話ししたように、アメリカの国債の発行、国債管理政策、国債の発行の仕方などを色々研究していました。ただ日本ではじめて導入するにあたって、いくつか技術的な問題がありました。イールドダッチでやるということは、複利利回りで入札してもらうわけですけど、その

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