32103.52.51.50.51998/08(出所)財務省図表2 資金運用部ショック時の金利の動き(%)2年5年10年20年1998/091998/101998/111998/121999/011999/021999/03 42 ファイナンス 2023 Oct.は、春くらいには2.5%近くまで上がりました。その運用部ショックの時の0.9%くらいから2%まで、差で言うと1.1%と言うのは、VaRショックでも同じくらいの幅で金利が上がっています。それで、今の国債の積算金利は、金利が上がった時に備えた余裕分として1.1%足すという慣例ができています。服部 資金運用部ショックを経験し、国債課を二つに分けるところまでいくと思いますが、当時はどういう議論がなされたのでしょうか。齋藤 資金運用部ショックという名前がつくくらいですから、火元になった運用部は火消しのために、何とか歯を食いしばって国債を買い続けます、ということをしばらくやったんです。でもそれだけでは収まらず、金利が上がったままになったので、理財局の幹部から、国債課もマーケットを落ち着かせるための施策を考えてくれという発注が来ました。マーケットフレンドリーというんでしょうか、市場参加者が好ましいと思うような、新しい政策を色々やっていこうということになって、いろいろな制度改革が進んでいったという感じです。服部 国債課を2つに分けるのはいつのことだったんでしょうか。資金運用ショックが大きな契機になったという風に報道されることが多い気がしますが。齋藤 そこから5,6年あとですね。まあ、さっきお話しした旧理財局グループの中でいうと、財政投融資をやっている人たちが一番メインであり、国債発行の担当者はその次、という位置づけとなっていたんです。ただ、マーケットが混乱する中で、もうとにかく国債のマーケットの安定が最優先という風にならざるを得なくなりました。結局、国債の発行額もどんどん増えていき、新しい国債もどんどん出ていきました。そうすると当然、入札の回数なども増えていきますから、人員も増やさないといけなくなりました。あるいは、そのちょっと後になりますけど、個人向け国債を作ったりとか、国債の発行に関する仕事量が全体として増えたので、一つの課で抱えるには人数が多くなりすぎました。国債課1つだったのを、企画課と業務課の2課体制にし、当時は旧理財担当次長が財政投融資などと一緒に国債を見ていたわけですが、そのタイミングで国債担当審議官という審議官のポストができて、その審議官が国債課2つと、さらにさっきお話しした、国庫課でやっているキャッシュマネジメントを担当することになりました。服部 この辺りで今の組織の形はあらかた決まったという感じですね。市場分析官もそののち作られますが、市場参加者との交流を深めるためでしょうか。齋藤 専門的な分析をしてもらって、専門知識を発揮してもらうのが第一ですね。霞が関の役所の人事は、1,2年でどんどん異動していってしまうので、専門性を身に着けるにはどうしても限界があるわけですね。だけど、民間の金融機関でマーケットの分析をやっているようなアナリストの人たちは、例えば十年
元のページ ../index.html#46