ファイナンス 2023年10月号 No.695
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ファイナンス 2023 Oct. 41齋藤通雄氏に聞く、日本国債市場の制度改正と歴史(前編) 来た時に、当時の理財局の幹部から、日本の国債マーケットをグローバルに通用するマーケットにするために、何をやらないといけないかを考えて整理しておけという宿題をもらっていたんです。それで、当時、今もそうですが、世界の国債マーケットの中で一番流動性が高く、進んでいたのはアメリカの国債マーケットでした。なので、米国債のマーケットについて色々勉強しながら、日本の国債マーケットに何が足りないのかを夏場から勉強して色々蓄積はしていたんです。運用部ショックが起きて、国債発行額が増えていくのをどう捌かなければいけないかを考える時に、勉強して蓄えていたものが役に立ちました。服部 資金運用部ショックは、資金運用部が国債を買わなくなることを、マーケットが予想できていなかったから、金利が跳ね上がってしまったということですよね。どのくらい市場とコミュニケーションを取っていたのでしょうか。齋藤 小渕内閣になって、国債の発行額が増えるのですが、実は国債の増発ということだけでは、金利は必ずしも大きくは上がらなかったんです。国債発行当局と、マーケットとのコミュニケーションの中で、国債発行額が増えそうだということは伝えており、市場の人たちが驚かないようにしていました。だから、金利は上がってきてはいましたが、ゆっくりとした上がり方で、ショックと言われるような上がり方ではありませんでした。そもそも資金運用部ショックのときは、資金運用部が国債を買わなくなる金額が、小渕内閣で国債を増発した金額に比べて、1桁少なかったんです。小渕内閣の増発は10兆円規模だったんですが、運用部の買入額は、年間で1兆円規模なんですよ。なので、資金運用部の人たちは、10兆円増発しても、金利が大して上がらないんだから、自分たちが1、2兆円買う量を減らしても、金利に対するショックはそこまで大きくないと思っていました。しかし、マーケットは自分たちが予測できていることには備えていますけど、予想できていないことが起きると驚いてしまって、金利が跳ね上がったり、逆に急に下がったりということが起こります。資金運用部ショックでは、予想外のところで、資金運用部が国債を買わない、という話がでてきてしまったものだから、金利が跳ね上がることになりました。つまり、小渕内閣になって国債発行額が増えて、需要と供給のバランスが崩れました。供給が増えるということは値段が下がるわけですよね。国債・債券の場合、値段が下がるというのは金利が上がるということですが、需給バランスが崩れて価格が下がっていく方向になっていきました。元々日本の国債マーケットで小渕内閣になって、そういう需給悪化懸念みたいなことでマーケットの人たちが心配している中に、さらにそれに拍車をかける方向でびっくりネタが出てきたから、金利がボンと跳ねたというのが運用部ショックです。これはある意味、去年のトラスショックと似ているとおもいます。トラスショックの時も、ショックとはいえ、元々伏線があるわけです。主体は違いますけど、インフレの中で、英中銀がどんどん金利をあげ、それまで金融緩和の中で買っていた国債を買うのをやめて、むしろ売りますとなりました。イギリスの国債マーケットにおいて、中央銀行の金融政策に起因する需給悪化懸念がある中に、トラス政権が誕生して、財政もやって国債を増発するという話しになった結果、市場がびっくりして金利が爆発的に上がったということです。服部 資金運用部ショックのタイミングは冬ですね。予算編成中に金利が上がると大変ですよね。齋藤 資金運用部ショックのタイミングは、予算の政府案ができた直後だったんです。運用部が買わなくなるという話が、どうやって世の中に出ていったかというと、平成11(1999)年度予算が編成されて、予算の政府案を財務省が記者の人とかアナリスト、エコノミスト向けに説明会をやったときです。そういえば資金運用部の来年の国債買入ってどうなるんでしたっけ、いや実は買わなくなるんだよとなって、そこから火がついていきました。資金運用部ショックの時も、10年物国債の金利水準でいうと、一番下がっていた時、小渕内閣誕生に伴う需給悪化懸念の前ですけど、瞬間的に0.7%程度までいきました。そこからジリジリ上がっていって、年末の運用部ショック前には、金利水準は、10年金利は0.9%くらいです。そこからスルスルと上がっていって、年末に運用部ショックがあって、年明けに約2%くらいですかね。1%くらいの幅で、短い期間で金利がグッと上がったという感じですね。最終的に

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