(出所)財務省「債務管理リポート 2005」図表1 シ団引受シェアの推移 40 ファイナンス 2023 Oct.資金運用部ショックについて服部 また話が資金運用部のところに戻ってしまうのですが、齋藤様が国債課に着任されたのが1998年の夏であり、小渕政権ができたのが1998年の7月末ですから、ちょうど同じタイミングですね。例えばVaRショックとか、他の金利上昇ショックも色々ある中で、運用部ショックは実際、どれくらいのショックだったのでしょうか。齋藤 起きた瞬間は正直何が起きているのかよく分からなかったですね。国債の先物市場というのは、国債マーケットの中で流動性が一番高くて、日中も継続的に価格が変化しているんです。理財局の国債課には証券会社みたいに、金利とか価格が表示されている金融指標のボードがあって、そこに当然国債の先物の値段が出ているわけですけど、それがストップ安になってしまって、それ以上取引ができなくなったわけです。未経験の事態でした。国債の制度改革をやることになったきっかけの一つが運用部ショックです。服部 何がきっかけだったか覚えていらっしゃいますか。齋藤 さらに言えば、シ団が引き受ける国債だけではなく、シ団を通さず普通の入札で買い手を見つけるような、別の年限の国債もどんどん増えていきました。齋藤 その原因は、国債の発行額の急増、言い方を変えれば国債の需給バランスの悪化があるわけですが、実はもう一つ別の流れによる、国債管理の改革がちょうど同じタイミングでありました。円の国際化です。服部 1998年は、アジア通貨危機の後ですね。橋本内閣の時には金融ビッグバンもありましたよね。齋藤 そうです。まさにこのあたりの話が、金融ビッグバン明けの東京市場のグローバル化、円の国際化などの話につながってきます。橋本内閣の時からだったと思いますけど、東京を国際金融センターにしようみたいな話があったんです。つまり、円をもっとグローバルに使われる通貨にしようということで、円の国際化に注力しようということです。その流れの中で、日本の国債マーケットをもっと海外の投資家がアクセスしやすいマーケットにしようという要請があったんです。これは小渕内閣に変わって財政のスタンスが変わる前から動き出していました。例えば、それまで日銀が引き受けていたFBをマーケットで公募するとか、日本の国債について海外投資家向けの非課税制度を作るなどの話につながってくるわけです。服部 マーケット重視の流れがその辺りから出てきているわけですね。齋藤 実は、私が1998年の夏に人事異動で国債課に
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